南仏紀行も今日が最終回。ラ・トリムイユを出発し、サン・サヴァンを見て、夕方にはパリに戻ることになる。フランスの民宿は常に朝食付き、パン、コーヒー、紅茶などがメーンの簡単なものだが、自家製のジャムを出してくれるところが多いので楽しい。ラ・トリムイユ民宿からユネスコ世界遺産に登録されている修道院付属教会があるサン・サヴァンまで約20km。雨の中すぐに町までついてしまった。町の正式名称はサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ。ガルタンプ川のほとりにあるためだ。
そもそも、サン・サヴァンに行くことになったのは、馬杉宗夫の『黒い聖母と悪魔の謎』を読んで、その天井画を見るために行ってみたいと思っていて、今回の旅行のパリへの帰路に通ることを計画したわけだ。勿論、ユネスコ世界遺産に登録されているから、写真を撮りに行って見たかったということもある。
サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会

ガルタンプ川越にサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会を見る

入口前の駐車場から見たサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会
町の中心の細い道に入ってしまうと教会の尖塔を目指したつもりだが、方向がわからなくなった。雨で太陽がないから影も出来ずなおさら。なんとか教会にたどりついた。
ガイドと回ると教会玄関の上のトリビューン(階上廊)も見られるとのことで、少し待ってガイドと一緒に見ることにした。
修道院の起源は、伝説によれば、5世紀にサヴァンとシプリアンの兄弟がキリスト教徒のため追われイタリアから逃げて来て、このガルタンプ川のところで殉死した。これを記念してシャルルマーニュ王の宮廷の聖職者のバイディリスが800年ころこの場所に修道院を建てられたとのが始まりとのことだが、詳細は分かっていないらしい。

教会内部
横手の入口から教会の中に一歩中に入ると、長さ42m 幅17m の身廊部分の細長い半円筒形の高い天井一杯に壁画が描かれているのに圧倒されてしまう。ロマネスク時代の「システィナ礼拝堂」と言われているのも納得がいく。ただしバチカンのミケランジェロ作のシスティナの方はルネサンスの繊細な写実的壁画だが、こちらの方は10世紀に描かれ、作者もはっきり分からないが、シンプルな曲線をベースに、よりプリミティブで力強い。壁を湿らせた上に描くというフレスコ画に近い独特の方法で行われ、青の顔料が使われていないため、茶色っぽい感じが、ちょっと昔の色あせたモノクロ写真を思わせるような特別の雰囲気をかもし出している。何故か高松塚古墳の壁画を想像してしまった。
これまでもフランスの教会を訪れた時、壁面に壁画の痕跡が僅かに残っているのを何度も見て来た。このような傷み易いものがまだきれいに残っているのも不思議だが、いくども修復されており、特に19世紀にプロスペル・メリメの修復保存策のお陰で助かったのだとのガイドの説明があった。メリメといえば戯曲カルメンの原作者の小説家だから、フランス語の説明は聞きづらいから聞き違えたのかと思って後で質問したら、メリメは当時歴史記念物の検査官でフランス中の古い建物の修復に関わっていたのだとわかった。

身廊の天井の旧約聖書を題材とした壁画
天井画は身廊に沿って4列に52の場面(消失しているものもいくつかある)が描かれているのだが、天井が高いので、肉眼では見にくい上、多くは説明がないと分かりにくい。実はこれらの絵はすべて旧約聖書からで、最初の「創世記」の天地創造から「出エジプト記」の神からモーセが十戒の石版を受ける場面までが扱われている。時系列順につながってはいるが、途中で方向転換したり、くねりながら続いている。これについては馬杉氏(参考文献)も説明しているが、ガイドさんの説明でも、中国の風水のようにいい方向とか悪い方向があって、それを考えながら並べていったらしいのである。
次にいくつかの場面の写真を紹介してみよう。

ノアの箱船

ノアの泥酔

神から十戒の石版を受けるモーセ
壁画は身廊部分だけでなく、ナルテックス(玄関口)、トリビューン(階上廊)にはキリストの栄光をたたえる場面などが、クリプト(地下祭室)にはサン・サヴァン伝説のサヴァンとシプリアン、車輪の刑を受けている場面などが、所狭しと描かれている。

ナルテックス壁画:栄光のキリスト(ヨハネの黙示録より)

ナルテックス壁画:女性とドラゴン
最近改装された修道院の部分には壁画のシーンをテーマ別にいくつもの部屋に分けて説明されており、映写室では壁画作成者を主人公にフィクション風に制作された映画が上映されていた。
修道院を出るといつのまにか雨は上がっていた。パン屋でキッシュと飲み物を買って、川の向うの教会がきれいに見える場所で昼食を取り、サン・サヴァンを後にした。
アングル・シュール・ラングラン城跡
もう真っすぐパリに戻るつもりだったが、20kmほど北上したところに城の廃墟がある美しい村があって、そこで休んだ。
アングル・シュール・ラングランという村で、城は11世紀に建てられたが、16〜17世紀、宗教戦争、フロンドの乱などで、被害を受け、18世紀初めに完全に見捨てられ、さらにフランス革命で建物を滅茶苦茶に壊されてしまったという。
すぐ近くに、石器時代の洞窟があって、洞窟絵画は珍しくレリーフになっているらしいのだが、見学するとパリに戻れなくなってしまうので、また機会があったらということにした。
下にいくつか写真を紹介する。

城跡の外れのチャペルの前の高台から

城跡から見たラングラン川。城跡は村の管理下。入場料 1.5 ユーロ

城跡。植田正治さん風に傘を持ってもらった
==========
サン・サヴァン修道院付属教会
2、3、11、12月:10〜12:00、14〜17:00(日曜午前休)
4、5、6、9、10月:10〜12:00、14〜18:00(日曜午前休)
7、8月:10〜19時
(1月、12月25、31日休)
参考文献
『黒い聖母と悪魔の謎』馬杉宗夫著 1998 講談社現代新書
吉川逸治氏はサン・サヴァン壁画研究のスペシャリストで、『サン・サヴァン教会堂のロマネスク壁画』 新潮社 1982が有名とのこと、日本に戻ったときに求めて読んでみたいと思っている。


今日の旅程はまずリモージュの町を見たあと、次に見たいサン・サヴァン聖堂の手前にあるラ・トリムイユ村の近くの民宿までである。















今日の旅程はモワサックを見て、車で240kmリモージュへ。モワサックを中心に紹介していく。










この石棺は4世紀にピレネーの大理石で作られたもので、13世紀に修道院長の遺体を入れるために再利用された。側面中央にキリストを表わすシンボルが描かれている(左写真)。この図形は本では見ていたが実際初めて目にした。キリストをギリシャアルファベットで表記した時の最初の二つの文字、XとPを重ねたものの左にアルファ右にオメガの文字が置かれている。アルファ・オメガはキリストを意味している(ヨハネ黙示録22章13に「私はアルファであり、オメガである」とある)。








アルル滞在







ローソンヌの民宿からそう遠くないところに、ロワール河の水源地があることをパリでネットで発見していた。大ざっぱな表現で正確なところがわからず、水源地は民家の中にあるという。本当に見られるのか。行ってみるかいがあるのか分からなかった。民宿出発の朝、ご主人のギーさんに聞いてみた。






今日の旅程はオーヴェルニュ地方を南に下り、ローソンヌというところの民宿まで行く予定だ。マイエ・ド・モンターニュの民宿の女主人のミレイユさんに途中どこかいいとこがないか聞いてみた。まず、近くのカステル・モンターニュという村があるので、行ってみてばという。6kmくらい戻らなければいけないのだが、また来るといってもいつになるかわからにので、やはり行ってみることにした。その先は、サン・タンテーヌとサン・ボネがいいというが、方向が違うので、サン・ボネの方を通ることにする。











パリからリヨンを通って南仏まで行く高速道路は何回も通っていて(フランスではPLM(パリ - リヨン - マルセイユ)と言ってフランスの幹線、東京-名古屋-大阪のようなもの)面白みがないので、今回も地方を通って民宿に泊まりながら南下していくルートを選んだ。特に、帰路はロマネスク修道院で有名なモワサックを見てみたかった。








以前からノルマンディー地方に日本人アーティスト田窪恭治さんが修復した『林檎の礼拝堂』と呼ばれる小さなチャペルの話を聞いていたので、いつかは行ってみよう思っていた。今回、関西から来た知り合いのファミリーに話したら、自分達もぜひ見たいから一緒に行きましょうということになり、長年の夢がかなうことになる。






























