2011年08月21日

南仏に行く途中、原発を見つける

ミルマンド

ミルマンド
パリから車で高速を通り南仏のプロバンス地方へ出発。ヴァランスの南のレ・トゥレットという小さい町のホテルに泊まった。翌日は近くにある「フランスで一番美しい村」の一つミルマンドという丘の上の小村を見に行く。「フランスで一番美しい村」というのは協会組織で、これがフランスには約150個ある。一番美しいのがたくさんあるというのはおかしいと思うかもしれないけれど、どれも隠された静かな美しい村という感じで、それなりに観光化されてはいる。

クリュアス発電所を望む

クルアス原発
前の写真を望遠レンズで捉えた。光っているのがロワール河。炉の表面に絵が描いてあるように見える。

この村の一番上の教会のある高台の展望台のところから下を見ると、ローヌ河の向こう側あたりだろうか、白い蒸気の上がる原子力発電所を見つけた。こんなに美しい自然の中に原発があるとは。あとで調べたら、フランスに19カ所ある原発基地の一つ、クリュアス発電所とわかった。前からフランスで度々原発を見ていたが、特に福島の事故の後なので、アッ、フランスにもと思ったのだ。

ラ・ガルド・アデマール
その翌日、南仏に入る前に、これもフランスの美しい村に選ばれている、ラ・ガルド・アデマールという丘の村を見た。 前のミルマンド村から僅か30キロほど南に下ったところに位置するのだが、上から見下ろすと、さらに別の原発、トリカスタン発電所が見えた。やはりローヌ河畔にあり、今思うと、昔すぐ横を車で通ったような気がする。原子炉からわずか50メートルくらいのところに道があり、その時は息を止めて、はやく過ぎてほしいと願いながら通った気がする。

フランス、トリカスタン原発

村の下に下りて、村の全貌の写真を撮りに行った。ラベンダー畑、ひまわり畑の向こうに奇麗な丘が見える。ところが振り返るとラベンダー畑の向こうに原発が見える。なんとも不思議な景色だ。
ラ・ガルド・アデマール
村をラベンダー畑とひまわり畑が隣接するところから見た。

フランス、トリカスタン原発

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『参考』フランスの原発 福島原発の不幸な事件があって、フランスの原発を旅行中に発見したのでこの記事を書いた。  詳しい情報は調べていただくとして、フランスには19の発電所に約60の原子炉があるのだが、ほとんどが大きい河の横にあって、海岸に原発がある日本とはちょっと様子が違う。原発には大変力を入れていて、人口に対する原子炉の数は世界一で、電気は他のドイツなどにも輸出されている。地震も津波もほとんどない国だから日本程心配ないとはいえ、福島の事故があって以来原発の将来は大きな関心事である。この間、民宿に泊まったときも、その息子が原発に反対するグループが作った、原発地図を持っていて説明してくれた。
フランス原発地図
フランス原発地図、民宿の息子が見せてくれたものとは別、残念ながらそれが手に入らない。
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2010年08月30日

オーヴェルニュ地方のロマネスク教会

ロマネスクの教会に興味を持ったのは、ブルゴーニュ地方のヴェズレーのサント・マドレーヌ大聖堂の柱頭彫刻を見てからだ。これまで知っていた西洋の写実的な彫刻とは違って、非常にシンプルで素朴な表現に感銘を受けた。その後、馬杉宗夫氏の『黒い聖母と悪魔の謎』(講談社現代新書)を読み、ロマネスク時代のフランスの古い教会に興味を持った。この本がきっかけでわかったことは、教会はまさにキリスト教の神聖な場所なのだが、その中に、キリスト教が伝わる前の異教的なケルト文化の痕跡が見られたり、一見矛盾した歴史が隠されていることに興味をそそられた。その後、コンクやモワサックのロマネスク教会を訪れたが、この夏、オーヴェルニュ地方を通った時も、たくさんあるロマネスク教会を幾つか見ることが出来た。この地方はサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にあたるため、本当に多くのロマネスク教会があるようだ。

オーヴェルニュ地図2

この地方の典型的なロマネスク教会の中で、オルシヴァルとカステル・モンターニュはすでに見たので、他の四つの教会の典型的な教会を紹介をする。

1.ノートルダム・デュ・ポール教会(クレルモン・フェラン)

ノートルダム・ド・ポール教会

この教会は前回も解説したので繰り返しになるが、まず入って黄色い壁の特別な雰囲気に驚かされた。調べてみると内部が黄色くない写真もあったので、これは後から色を塗ったのかもしれない。色には違和感があったが、建築空間は調和が取れた美しさを感た。内陣は評判らしいが、地下聖堂も興味を持った。
古い玄関広間(ナルテクス)一部を除き、大部分は11〜12世紀に作られた。祭壇の後ろを回り込む回廊(周歩廊)を持つ形式など、以後のオーヴェルニュ地方のロマネスク教会のモデルとなったという。
修理のためなのか、きれいに残っているという柱頭彫刻は見つけることが出来なかったのが残念。

2.サン・ネクテール教会(サン・ネクテール)

サン・ネクテール教会

サン・ネクテールの村は同じ名のチーズで有名。町は上下に別れていて、下の方は温泉地のためか観光客で溢れていたが、教会の目印は見当たらない。カフェの主人に聞いて、少し離れたところから上がる教会への道を聞いた。教会のある村の上の部分は静で気持ちがいい。小さな教会の中に入ると薄暗さの中に厳かな雰囲気。シンプル建築構造が実にいい。ほとんどの柱にある柱頭彫刻の聖人や動物の表現がユニークで面白く、入口に置いてあるガイドをみながら一つ一つ見ながら十分に楽しめる。

サン・ネクテール柱頭彫刻

サン・ネクテール教会柱頭彫刻2



3.サン・オーストロモワヌ教会(イソワール)


サン・オーストロモワヌ教会

イソワールの教会は前にも行ったことがあって、カラフルな内部の美しさに感動したのだった。内部が暗く写真に取れなかったので、昨年買った感度の高いデジカメで写真を撮りたいと再び訪れたのだった。
壁が脱色して鄙びた感じ、教会の厳かな雰囲気を求める人はこんな派手なの何だと思うかもしれないが、修復後の紅色をベースにした幾何学的模様の壁や装飾を見ると、その割には落ち着いた印象を受ける。このような教会もあったのかと驚いてしまう。ブルーをベースにした壁はイタリア、パドヴァの教会や、この間世界遺産に登録されたフランスのアルビの聖堂の例もあるが、赤中心のものは珍しいのではと思う。柱頭彫刻にも色づけされているのは他では見なかった。とにかく、この感じは一見の価値ありだ。

サン・オーストロモワヌ教会内部

サン・オーストロモワヌ教会柱頭彫刻

教会の横には以前の付属の建物が博物館になっていて、オーヴェルニュのロマネスク教会のロマネスク美術展をやっていた。

4.サン・ジュリアン教会(ブリウード)

サン・ジュリアン教会)

オーヴェルニュ地方では一番大きなロマネスク教会である。やや赤茶色っぽい室内で、すべすべした多色の丸石を敷いた、日本の露天風呂に見られるような床が特徴的だ。シンプルな柱頭彫刻も見事だ。

サン・ジュリアン教会

サン・ジュリアン教会柱頭彫刻
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2010年08月13日

オーヴェルニュを行く(2)

クレルモン・フェラン

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サンジョルジュ・ド・モンの民宿から細い道を通って、クレルモン・フェランに着いた。町の中心部にほとんど路上駐車の場所がなく、ショッピングセンターの地下のパーキングに入れる。

ここでクレルモン・フェランについて、概説すると、このあたりには紀元前からケルト人が住む町があったらしい。80の休火山がある中央山塊のピュイ山系はすぐ近くにある。ピュイ・ド・ドームはこの中でも最も有名な山で最後に噴火したのは12,000年前だそうで、15kmの距離にあるので町からもはっきり見える。

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ピュイ・ド・ドームが町の向こう側に見える

クレルモンは、1095年に教皇ウルバヌス2世が教会会議を開き十字軍遠征を呼びかけた場所として名高く、17世紀の数学者、思想家のパスカルもこの町で生まれた。18世紀になり、隣接するモンフェランと合併してクレルモン・フェランとなる。現在ではタイヤやガイドブックで有名なミシュランの本社もこの町にある。

さて、パーキングから地上にでて、歩いていくと、大分前にパリのシネマテークで見たエリック・ロメール監督の映画、『モード家の一夜』で見た大聖堂に続く道の風景がそこにあった。グラ通りという名前の通りで、真っ黒い巨大な聖堂がそびえている。、ミネラルウォーターで有名なヴォルヴィックで取れた黒い溶岩製のブロックで作られてたためで、大聖堂としてはフランスでただ一つだそうだ。ちょっと無気味である。13〜14世紀にかけて作られたゴシック建築で、正式名称はノートルダム・ド・ラソンプシオン大聖堂という。

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グラ通りとノートルダム・ド・ラソンプシオン大聖堂

この教会は中に入ると、これはあまり古いものではなさそうだが、美しいステンドグラスがあった。これは最近の作のようだ。古い教会でも現代の著名なアーティスト作ののステンドグラスはよくあることだ。ただし、バラ窓の赤っぽいステンドグラスは12〜15世紀の古いものだそうだ。

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大聖堂の裏側から、旧市街を散歩する。少し坂道を降りて行くと、迷路のような道の奥にひっそりと立っているもう一つの小さな教会、ノートルダム・デュ・ポールバジリカ聖堂がある。『地球の歩き方』で調べていたのでわかったが、知らなかったら絶対見逃してしますこと間違いない。こちらは12世紀のロマネスク様式の建物で、オーヴェルニュ地方のロマネスク教会の見本となったものだそうだ。次回にオーヴェルニュのロマネスク教会をまとめて紹介しようと思う。
そのようなわけで、この目立たない教会の方が、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路沿いの遺跡として、フランスの世界遺産に登録されている。

ノートルダム・デュ・ポール・バジリカ聖堂
ノートルダム・デュ・ポールバジリカ聖堂



クレルモン・フェラン旧市街
ノートルダム・デュ・ポールバジリカ聖堂のあるあたりの旧市街も溶岩の煉瓦でできている家が多い。

旧市街を一周、大聖堂に戻る。横にあるヴィクトワール広場に噴水と大きな彫像が立っていた。後になって、これが十字軍誕生の音頭を取った教皇ウルバヌス2世の像だとわかった。

ヴィクトワール広場
ウルバヌス2世像と大聖堂

次回はオーヴェルニュ地方のロマネスク教会について解説したい。
posted by Jun SATO at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月02日

オーヴェルニュを行く(1)

オーヴェルニュ地方

フランスの中南部に位置している地方。パリはフランスの比較的北部にあって、新幹線のTGVも通っていないので、短期滞在のツーリストにはなかなか行きにくいところだ。特別有名な都市や名所もなく、いつも話題になることはないのだが、秘境とまでいかないまでも、知られざる名所も多い。自然が豊かで、高原、山岳地帯で日本でいえば長野県といったところか。

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オーヴェルニュ地方は図のように4つの県からできていて、大部分が中央山塊の山地に位置している。温泉地のヴィッシー、ミネラルウォーターのヴォルヴィック村などは日本でもお馴染みだと思う。農業、牧畜が盛んで、各種チーズや、生ハムなどの特産物がある。(アリエ県の県庁ムーランについては昨年のブログを見て欲しい)

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オーヴェルニュ地方のチーズ

オーヴェルニュ地方は僕も家内も気に行っていて、もう何回か通っているけれど、何度でも行って見たいところだ。ヴィッシー、ル・ピュイ、オルシヴァルはすでに行っているので、今年通ったクレルモン・フェラン、サンネクテール、イッソワール、ブリウードを紹介したい。

パリを朝に発って、高速のA10からA71に入り、途中ブルジェの大聖堂を見て(これはロワール中流地方の町で、大聖堂は世界遺産に登録されている。機会があったら紹介したい)再びA71にもどり、クレルモン・フェランの手前のサンジョルジュ・ド・モンという村の近くの民宿に泊まった。中央山塊に入る手前で緩やかな丘陵地帯にある。
 この日は他の客はなく、民宿の経営者夫妻と4人で食事、ゆっくりこの地方の話を聞くことができた。

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民宿の前の菩提樹の木。このため民宿は菩提樹荘という名前がついている

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この日は民宿から美しい夕焼けが見られた

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民宿の経営者夫妻。二人はバイクのクラブで知り合ったという
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2010年06月03日

マロニエのパリ

5月のパリの町は至る所マロニエの白い花の咲いた街路樹が目につきました。もう6月、すぐに書かなければいけないのに、雑用で後回し、多いに反省ですが、折角用意したのに、没にするのはもったいないので、タイミングがずれたけれど紹介します。以後、簡単でいいからもっとしばしば投稿するようこころがけます。なにかもっと簡単にパッと書けるようにしないと。

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シャンゼリゼ通りの中央部、ロンポワンのマロニエ。ここからコンコルド広場にかけてはマロニエの街路樹が続く

マロニエ通りは東京の銀座やお茶の水(こちらは正式にはとちの木通りと呼ばれているらしい)にもあるけれど、どこにでもマロニエの通りがあるのはやはりパリか。京都にもマロニエ通りがあるらしいけれど、知っている人がいたら教えてください。
 マロニエは日本ではトチノキと呼ばれているけれど、いろいろの変種があり、パリの公園や街路樹で見られるマロニエはインド・マロニエと呼ばれている。実際の原産地はインドでなく、ブルガリアから小アジアにかけての湿った森に氷河時代から生息していたらしい。
 パリには17世紀に入って来てたが、最も早い時期に花粉アレルギーが報告されたのは、マロニエの花だったらしい。

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マロニエの花

マロニエのマルとはイタリアのリグリア地方の方言で小石を指す。実が丸くて堅い栗の仲間をかってはすべて、マロニエと呼んでいたらしい。フランス語では栗はマロンだが、普通その木を表わすのに「え」を付つけるのだが、栗(マロン)の木はマロニエでなく、シャテニエという。
 中には300才で30メートルにも達する巨木もあるという。樹皮、花、葉っぱはエスクリン(日本では皮膚病、歯の治療に効くとある)を含みかっては、呼吸器病、糖尿病、血の循環を良くすることなどに使われたらしい。

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赤いマロニエの花

マロニエの咲く通りを歩くと、たまに、白でなく、赤い花が咲くマロニエに出会うことがある。白ほど目立たないので、気付かず通り過ぎてしまう人のいるかもしれない。なぜか赤いマロニエの木は背が低いものが多い。

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グラン・パレ横のマロニエ

パリの花便り、機会があったらまた紹介します。
タグ:マロニエ
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2009年08月16日

パリから南仏への紀行(7最終回) サン・サヴァン修道院付属教会を見る

サン・サヴァンへ

photolet171.jpg 南仏紀行も今日が最終回。ラ・トリムイユを出発し、サン・サヴァンを見て、夕方にはパリに戻ることになる。
 フランスの民宿は常に朝食付き、パン、コーヒー、紅茶などがメーンの簡単なものだが、自家製のジャムを出してくれるところが多いので楽しい。ラ・トリムイユ民宿からユネスコ世界遺産に登録されている修道院付属教会があるサン・サヴァンまで約20km。雨の中すぐに町までついてしまった。町の正式名称はサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ。ガルタンプ川のほとりにあるためだ。
 そもそも、サン・サヴァンに行くことになったのは、馬杉宗夫の『黒い聖母と悪魔の謎』を読んで、その天井画を見るために行ってみたいと思っていて、今回の旅行のパリへの帰路に通ることを計画したわけだ。勿論、ユネスコ世界遺産に登録されているから、写真を撮りに行って見たかったということもある。

サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会

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ガルタンプ川越にサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会を見る

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入口前の駐車場から見たサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会

 町の中心の細い道に入ってしまうと教会の尖塔を目指したつもりだが、方向がわからなくなった。雨で太陽がないから影も出来ずなおさら。なんとか教会にたどりついた。
 ガイドと回ると教会玄関の上のトリビューン(階上廊)も見られるとのことで、少し待ってガイドと一緒に見ることにした。
 修道院の起源は、伝説によれば、5世紀にサヴァンとシプリアンの兄弟がキリスト教徒のため追われイタリアから逃げて来て、このガルタンプ川のところで殉死した。これを記念してシャルルマーニュ王の宮廷の聖職者のバイディリスが800年ころこの場所に修道院を建てられたとのが始まりとのことだが、詳細は分かっていないらしい。

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教会内部

 横手の入口から教会の中に一歩中に入ると、長さ42m 幅17m の身廊部分の細長い半円筒形の高い天井一杯に壁画が描かれているのに圧倒されてしまう。ロマネスク時代の「システィナ礼拝堂」と言われているのも納得がいく。ただしバチカンのミケランジェロ作のシスティナの方はルネサンスの繊細な写実的壁画だが、こちらの方は10世紀に描かれ、作者もはっきり分からないが、シンプルな曲線をベースに、よりプリミティブで力強い。壁を湿らせた上に描くというフレスコ画に近い独特の方法で行われ、青の顔料が使われていないため、茶色っぽい感じが、ちょっと昔の色あせたモノクロ写真を思わせるような特別の雰囲気をかもし出している。何故か高松塚古墳の壁画を想像してしまった。
 これまでもフランスの教会を訪れた時、壁面に壁画の痕跡が僅かに残っているのを何度も見て来た。このような傷み易いものがまだきれいに残っているのも不思議だが、いくども修復されており、特に19世紀にプロスペル・メリメの修復保存策のお陰で助かったのだとのガイドの説明があった。メリメといえば戯曲カルメンの原作者の小説家だから、フランス語の説明は聞きづらいから聞き違えたのかと思って後で質問したら、メリメは当時歴史記念物の検査官でフランス中の古い建物の修復に関わっていたのだとわかった。

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身廊の天井の旧約聖書を題材とした壁画

 天井画は身廊に沿って4列に52の場面(消失しているものもいくつかある)が描かれているのだが、天井が高いので、肉眼では見にくい上、多くは説明がないと分かりにくい。実はこれらの絵はすべて旧約聖書からで、最初の「創世記」の天地創造から「出エジプト記」の神からモーセが十戒の石版を受ける場面までが扱われている。時系列順につながってはいるが、途中で方向転換したり、くねりながら続いている。これについては馬杉氏(参考文献)も説明しているが、ガイドさんの説明でも、中国の風水のようにいい方向とか悪い方向があって、それを考えながら並べていったらしいのである。
 次にいくつかの場面の写真を紹介してみよう。

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ノアの箱船

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ノアの泥酔 
 
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神から十戒の石版を受けるモーセ
 
 壁画は身廊部分だけでなく、ナルテックス(玄関口)、トリビューン(階上廊)にはキリストの栄光をたたえる場面などが、クリプト(地下祭室)にはサン・サヴァン伝説のサヴァンとシプリアン、車輪の刑を受けている場面などが、所狭しと描かれている。

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ナルテックス壁画:栄光のキリスト(ヨハネの黙示録より)

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ナルテックス壁画:女性とドラゴン

 最近改装された修道院の部分には壁画のシーンをテーマ別にいくつもの部屋に分けて説明されており、映写室では壁画作成者を主人公にフィクション風に制作された映画が上映されていた。

 修道院を出るといつのまにか雨は上がっていた。パン屋でキッシュと飲み物を買って、川の向うの教会がきれいに見える場所で昼食を取り、サン・サヴァンを後にした。



アングル・シュール・ラングラン城跡
 もう真っすぐパリに戻るつもりだったが、20kmほど北上したところに城の廃墟がある美しい村があって、そこで休んだ。
 アングル・シュール・ラングランという村で、城は11世紀に建てられたが、16〜17世紀、宗教戦争、フロンドの乱などで、被害を受け、18世紀初めに完全に見捨てられ、さらにフランス革命で建物を滅茶苦茶に壊されてしまったという。
 すぐ近くに、石器時代の洞窟があって、洞窟絵画は珍しくレリーフになっているらしいのだが、見学するとパリに戻れなくなってしまうので、また機会があったらということにした。
 下にいくつか写真を紹介する。

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城跡の外れのチャペルの前の高台から

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城跡から見たラングラン川。城跡は村の管理下。入場料 1.5 ユーロ

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城跡。植田正治さん風に傘を持ってもらった

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サン・サヴァン修道院付属教会
2、3、11、12月:10〜12:00、14〜17:00(日曜午前休)
4、5、6、9、10月:10〜12:00、14〜18:00(日曜午前休)
7、8月:10〜19時
(1月、12月25、31日休)


参考文献
『黒い聖母と悪魔の謎』馬杉宗夫著 1998 講談社現代新書
吉川逸治氏はサン・サヴァン壁画研究のスペシャリストで、『サン・サヴァン教会堂のロマネスク壁画』 新潮社 1982が有名とのこと、日本に戻ったときに求めて読んでみたいと思っている。
posted by Jun SATO at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

パリから南仏への紀行(6) リモージュからラ・トリムイユの民宿へ

photolet152.jpg 今日の旅程はまずリモージュの町を見たあと、次に見たいサン・サヴァン聖堂の手前にあるラ・トリムイユ村の近くの民宿までである。

磁器と七宝(エマイユ)の町リモージュ
 民宿のあるパナゾルからはほんの10分もかからずリモージュに着く。リモージュは磁器と七宝で有名な中都市だ。ジモージュは前にも来ていたが、陶磁器の好きな家内がもう一度陶器博物館を見たいというので寄ってみるこのにしたわけだ。町に着くとまずツーリストオフィスで情報を得る。ちょうどツーリストオフィスの回りは、リモージュ焼きの店が立ち並んでいたが、買うのが目的でないので博物館へ急ぐ。





アドリアン・デュブーシェ国立博物館

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アドリアン・デュブーシェ国立博物館

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アドリアン・デュブーシェ国立博物館内部

 リモージュの陶器博物館は二つある。一つはサンテティエンヌ大聖堂の前の市立の司教館博物館で、前回訪れた時はロシア七宝展をやっていたが、今回は改装中で閉まっていた見られなかった。もう一つがアドリアン・デュブーシェ国立博物館だ。
 この博物館の前身は19世紀中期の歴史考古学協会から発展したリモージュ博物館。1865年にこの博物館の館長に選ばれたアドリアン・デュブーシュ(1818〜81)はかっての精神病院の廃墟に博物館を新設することを市に提案、多くの作品を収集、友人の東洋陶磁器の専門家、アドリアン・ジャックマールが亡くなった時、そのコレクションのすべてを私財で買上げ、博物館に寄付した。その後、博物館は国の担当になり、アール・ヌーボー様式を採用など、新しいコンセプトで大改造され1900年陶器博物館に生まれ変わった。七宝などの陶磁器以外のコレクションは司教館博物館に移されたが、博物館発展に功績のあったアドリアン・デュブーシュを記念してこの名の博物館になったわけだ。

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ぶどうの実と柄の中央部分の青い点の部分が透けている珍しいもの。リモージュ

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パリの19世紀末のもの

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ピカソ作の皿も飾ってあった

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イスラム陶器も展示されている

 上にコレクションの幾つかをしめした。一階はリモージュの作品を中心にパリ(セーブル焼きを含め)など他のフランスの陶磁器を、二階には中国、日本など東洋のものなど世界的に価値あるコレクションが展示されている。

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石が融けたもの

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磁器製造に必要な左からカオリン、石英、長石

 リモージュの磁器が生まれるきっかけは1768年に近くのサン・イリエイ・ラ・ペルシュでカオリンが発見されたことによる。18世紀はじめにすでにドイツでカオリンが発見されてはいたが、磁器は中国、日本など東アジアが中心でヨーロッパでは作られていなかった。このカオリン発見、しかも純白の高品質のもので、次第にリモージュの磁器は発達して今日に至る。
 一階左奥の部分には磁器の製造に必要な材料、製造装置、製造法の説明などにあてられていた。


リモージュの七宝(エマイユ)
 リモージュの七宝は磁器より古く、12世紀から始まっている。今回は司教館博物館が修復中のため、制作しているのが見られるかと、シテ大通りのメゾン・ド・レマイユ(七宝の家)に行ってみたが、開くのは午後2時ということで、これもあきらめることにした。

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 旧市街の歴史地区(上写真)には七宝の店が多くあると聞き、行ってみたが、みな土産物風で、大方は昼休みで閉まっている。今回は七宝見学については思うな成果は上がらなかった。


手袋製造の町、サン・ジュニアンに寄る
 歴史地区でサンドイッチの昼食。この時、家内のガラス作品をマネージャー的に面倒を見てくれているカトリーヌさんから携帯に電話が入った。今、リモージュにいると言うと、自分の生まれた町のサン・ジュニアンがすぐそばにあるから時間があったらよってみたらという。最初よき聞き取れないので、サン・ジュリアンだと思って探したが、なかなか分からない。やっとジュニアンだと分かり、食事が終わって、ちょっと寄り道になるが、約30km西の小さな町サン・ジュニアンに行った。ここは皮手袋製造業の町。カトリーヌさんのお父さんも手袋製造の会社を経営していたそうだ。今でも町の中心から歩いていけるだけでも5軒の手袋製造所がある。その一つを見学してきた。


ラ・トリムイユに着く
 サン・ジュニアンからラ・トリムイユ村まで、田舎道を走って北上、約70km。そんなに遠くないので1時間くらいでついてしまった。道路標示がちょっと違うので電話したらもう着いているのだという。向うから主人のヴエさんが迎えに来てくれた。

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 まだ夕食まで、1時間ほどあるので散歩する。小川を横切ると柵の向うに馬が走っている。刈ったあとの麦畑の中を歩くがどこまでも続いている。あとで聞いたらこれは全部もともとヴエさんの土地だが、もう年を取ったから息子たちに譲って、自分達は民宿をやっているのだそうだ。全部で200ヘクタール(1km x 2 km にあたる)あるのだそうだ。フランスはサラリーマンや店の経営者だと退職したあと年金だけで十分食べて行けるけれど、農業の場合はちょとシステムが違って、生活費が十分でないので民宿をやって補っているところが多いようだ。あとは息子たちに農業の助言をしてあげている。

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 家の前庭には鳥小屋があって、オームやインコがたくさんいた。これを飼うのがヴエさんの趣味ということだった。

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 ここはご主人たちは別に夕食をとる。イギリスから自転車でフランス縦断を目指す Change my life というグループが来ていて、一緒に食事をした。まず、スロー(桜属の低木、フランス語ではプリュネル)の若芽から作った食前酒。前菜がロレーヌ風キッシュ。本菜がバスク風ピーマン・トマト煮(写真)。デザートがマケドニアサラダ(フルーツサラダ)であった。

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 フランスの夏はいつまでも明るい。また散歩して来たらとヴエさんが勧めるので出発、猫がアジサイの間から現れた。猫好きの家内は大喜びで抱き上げる。

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 息子の家の庭にはまだらのポニーが飼われていた。

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 来た時に通った道まで戻ってみる。この両側ともずっとヴエ家族の農地だ。
 
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左から家内の由実子、ジャクリーヌ、ジェラールのヴエ夫妻。

 ヴエ夫妻も後から散歩でやって来たので、記念撮影。
タグ:民宿
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2009年08月12日

パリから南仏への紀行(5) モワサック

モワサックからリモージュへ

photolet129.jpg 今日の旅程はモワサックを見て、車で240kmリモージュへ。モワサックを中心に紹介していく。

モワサック
 最近、フランスのロマネスク美術には興味がある。そこにはルネサンス以来の写実的表現でなく、プリミティブで力強く、時にはユーモアのある特異な表現が見られるからだ。今まで、ヴェズレー、オータン、コンクなどは見たのだが、モワサックにぜひ行ってみたいと思い、今回はアルルの帰り道、少し遠回りになるのだけどあえて計画してみた。今朝の出発地のピュイコルネからは20kmくらい、途中ラ・フランセーズという村を通り、30分くらいで、モワサックに着いた。
 モワサックはル・ピュイから始まるスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路にある。その修道院と付属教会は1998年にユネスコ世界遺産として認められたフランスの巡礼路の多くの場所の一つとして登録されている。


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サン・ピエール教会

 モワサックの修道院は6世紀フランス最初の王クローヴィスにより作られたと伝えられるが、実際には7世紀カオールの司教の聖ディディエが作ったという。アラブ人、ノルマン人の侵入で弱体化したが、11世紀にクリュニー修道院の援助を受けて大きく発展するが、その後またアルビジョワ十字軍の戦争、百年戦争、宗教戦争で打撃を受け、ついにフランス革命ではさらに傷めつけられ閉鎖されてしまう。19世紀の鉄道建設では修道院の敷地は二つに割られてしまった。現在再興され、付属教会と回廊が見られるだけでも幸いである。

サン・ピエール教会入口 旧修道院付属だったサン・ピエール教会は11世紀に建てられ、15世紀に付加、改築され現在の姿になった。外部の見どころは南入口玄関。タンパン(半円形の部分)はロマネスク美術の最高傑作と言われ、ヨハネの黙示録第4章を表わした「栄光のキリスト」のシーン。その回りに4人の福音史家、24人の長老がキリストに視線を向けて配置されている(下写真)。

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タンパン

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中央の柱              エレミア像

 タンパンの下中央の柱の正面(南側)はX形に交わる2匹のライオンが上下に3組、横面には聖パウロとエレミアが彫られている。後者は特に傑作と言われているのだが、前もって勉強していなかったので、大事な作品と知らず正面からの写真を撮り損なった。それが返って幸いしたか、斜めから見ると縁の波形の曲線が実に美しい。この柱が1つの石でできているというのもすごい。

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苦しめられる淫乱の女

 この淫乱の女性の彫刻のことは馬杉さんの本(下:参考文献)に出ていたので、親近感があった。かなり傷んでいてリアルな感覚は受けなかったが、やはりじっくり見ると、裸体の女性自体のグロテスクな姿に蛇やカエルが乳房や性器に噛み付く、相当に残酷、無気味な世界だ。

他にいくつか入口の写真を紹介する。

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  入口両側にある教会の守護聖人ペトロ(左)と預言者イザヤ(右)像

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入口右上から、聖家族のエジプト逃避



教会内部 

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 教会内部に入るとその黄色っぽいその明るい感じに驚かされる。それは下の写真のように壁中に編み目のような模様が描けれているためだ。タッチが分かるようにアップで示したのだが、この点描法のような感じは当時からあったのだろうか。それとも1963年に改修された時に塗り変えられたのか。もし19世紀中期の印象派の画家が現れる前だったら興味深い。

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 内部全体の感じはゴシック式の感じで、ロマネスク時代のものは外陣の土台部分など一部に限られている。回りには主に15世紀の木彫や石彫が幾つか置かれていた。

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左に聖ヨハネ、中央ピエタ像。右がマグダラのマリア

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前の写真のピエタ像の部分

 上の写真は15世紀のピエタの石像。左右の聖ヨハネ、右のマグダラのマリアを見てほしい。頭でっかちの表現が面白くユーモアがあり、今日の一部のマンガに共通するところがあるのではないか。

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photolet141.jpg この石棺は4世紀にピレネーの大理石で作られたもので、13世紀に修道院長の遺体を入れるために再利用された。側面中央にキリストを表わすシンボルが描かれている(左写真)。この図形は本では見ていたが実際初めて目にした。キリストをギリシャアルファベットで表記した時の最初の二つの文字、XとPを重ねたものの左にアルファ右にオメガの文字が置かれている。アルファ・オメガはキリストを意味している(ヨハネ黙示録22章13に「私はアルファであり、オメガである」とある)。

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 この木彫りの彫刻、なにかルーブル美術館で見たメソポタミアやエジプトの石のレリーフに描き方がとても似ているので取り上げてみた。王様が椅子に座り、そこに挨拶に向かうものたちのシーンが真横から描かれる。教会の内部というのはキリスト教の中心であるはずなのに、ケルト、オリエント、エジプト、アラブなどの異教的の要素が非常に多く見られるのは実に興味深いものだ。


回廊

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 モワサックの回廊は世界一美しいとさえ言われている。教会の後ろの広場にツーリストオフィスと並んで入口がある。有料だが、1回買えばその日は一度出ても何回でも入場できる。30分ごとにガイドが説明してくれるというので、かっての修道院全体の模型を見ながら待った。

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 ガイドさんは大学で美術史を専攻するという女子学生のルシルさん。幸い数人の少数なので分からない時は自由に質問できる。この回廊が出来たのが1100年というのが暗号で書かれている柱とか、76本柱にある柱頭彫刻についても詳しく説明してくれた。世界一かどうかはともかく、これだけ広く整然としている回廊は初めて見た。

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ライオンと闘うサムソン

 76の柱頭彫刻中、聖書や聖人の物語を表わしたものが46柱、これが時代順とかでなく、植物模様などの装飾柱頭とテーマを表わす柱頭が微妙に絡まって配置されている。個々の作品の表現の仕方も非常にシンプルで興味深い。これらの彫刻は工房でつくられているので、一つ一つの作品の作者は記されていない。

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上は教会の横、回廊の後ろ側にある博物館に飾られていた。ガイドさんも言っていたが、かって回廊は丸天井であったことを示している。

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 上はこれもかっては修道院の一部だった博物館を見たあと散歩して、線路の上の陸橋から撮った写真。線路の右にあるのは現在ロマネスク美術センターとその付属図書館になっている。これもかっては修道院の一部だった。鉄道の線路がかっての修道院を引き裂いてしまったわけだ。始めに見た修道院の模型は現在の回廊と教会よりずっと広い範囲に広がっていた。現在、アフガニスタンなどの過激イスラム教徒が世界的な遺跡を破壊して問題になっているが、フランス革命などでも同じような蛮行が行われていたわけだ。世界の歴史は「国破れて山河あり」でありしかたがないのかもしれないが、一体人間の歴史とは何だろうとふと考えてしまう。

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 散歩のあと少し離れた広場でのカフェでサンドイッチの昼食、もう一度回廊を見たあとモワサックを後にした。


リモージュへ
 モワサックをゆっくり見てしまったので、時間がなくなったが、途中の奇麗だと言う丘の上のロウゼルトという村に寄ってみた。

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ロウゼルトの丘の上の広場

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見晴しのいい自然の中の道があった

 この後、カオールの先で、高速に入り、目的地のリモージュの郊外のパナゾルという町の民宿に着く。都市のすぐ近くなのに、自然の中。民宿の敷地はもの凄く広い。夜は食事はでないのだが、キッチン付きなので、スーパーで買物をして、夕食は簡単にすませた。

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パナゾルの民宿

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参考文献
-「黒い聖母と悪魔の謎」馬杉宗夫著 1998年 講談社現代新書

- 書くにあたってたまたま検索で見つけた
http://www.geocities.jp/existenzerhellung/text/france_romanesque/saint_pierre.html
は良く出来ていた参考になったが、残念ながら作者がでていない。
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2009年08月10日

パリから南仏への紀行(4) アルルからモンペリエそして帰路へ

photolet120.jpgアルル滞在
 南仏アルルでは国際写真祭を見るために4日間滞在した。アルルにはもう何度も行っているので、写真祭以外は特に見学はしなかったが、土曜に出る朝市はゆっくり見て回った。アルルの朝市は中心地の城壁の外側を回る大通り伝いにずっと続いている相当な規模だ。野菜、果物も新鮮でパリの半額くらいで買える。メロンの特産地のカヴァイヨンのメロンを2個買った。
 いつもいっているプロバンス料理のレストランで食べた子羊の足をその胃袋での料理は珍しいもだった。マルセイユではこれを屋台で食べられると聞いたのはモンペリエに着いたあとだった。

モンペリエ
 アルルから西へ約70km、友人の日仏カップルの住むモンペリエには2泊した。ここはもはやプロバンス地方でなく、ラングドック・ロシヨン地方に属する。10世紀ころ出来た比較的新しい町だが、すでに13世紀に医学校ができ、当時は文化が進んでいたスペインのユダヤ人、アラブ人が教えに来たらしい。今日でもモンペリエ大学の医学部、薬学部は有名である。
 モンペリエに着いた日は、ご主人のジャンシャルルさんがシェフをしているレストランのシェフをしていて、仲間の料理人たちのグループに入れてもらって、郊外の湖のほとりにピクニックに行った。
 町の中心のコメルス広場あたりを散歩するのは気持ちがいいのだが、モンペリエは3度目だったので観光はしなかった。家内の作品が町のガラス専門のギャラリーに置いてあったのを見に行った他は、家で子供の相手をしながらゆっくり過ごし、旅の疲れを癒した。その日はジャンシャルルさんが休みの日で、料理の話を聞いた。ジャンシャルルさんは料理の話となると目の色が変り、分からないと分厚い料理辞典を持って来て調べる。アイディアが湧くと一人テラスに座ってレシピを書き込んだりしていた。

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湖のほとりは芝生になっている。子供たちが飛び回るにはぴったりの場所

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ちょうどリヨンのレストランを経営するアレクサンドル(左)とマシャ(中)夫妻も来ていた。奥さんのマシャはロシア人でロシアの前菜(ビート、キャベツ、ニシン、ポテト、タマネギ)をたくさん作って来た

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モンペリエのガラス専門ギャラリー。中央の螺旋状のガラス作品が家内のもの


帰路、ピュイコルネという小さい村のはずれの民宿へ
 いつの間にかパリに戻る時になってしまった。しかし、今回は帰路も見たい目的地がいくつかある。その一つがモワサック。今までもフランスのロマネスクの村をいくつか訪れているけれど、一度行って見たかったのがこの小さい町。近くの民宿ガイドブックで宿を探したが、もうみな空いていない。あきらめかけたが、インターネットで検索した民宿は空いていた。モワサックから20kmくらい離れた小さな村だ。
 300kmくらい、ちょっと距離があるので、いつものように県道を通らず、モンペリエから高速で、トゥールーズの横を通って、まずモンタバンに寄る。ここにアングル美術館があることを出発前に発見したので、ぜひ見たかったのだが、本日は休館。また次回ということにした。
 ここからはもう目的地の村まで20km弱、県道を通って、直前で少し迷ったが無地に着くことができた。

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民宿はなだらかな丘陵地帯の農地の中にあった

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民宿に入る小道のところに牛肉を売りますの立て札が。これは民宿の経営者の兄弟の農場だった。

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近くのひまわり畑

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夕食のバーベキューを作るご主人

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ムルグ夫妻と息子とその彼女と一緒に食事

 夕方に着いたが食事まで1時間余り時間があるので、近くを散歩した。ここは農地のど真ん中だが、林の中を進んで行くとぶどう畑の向うにきれいなひまわり畑があった。
 民宿には他に2組泊っていたが、夕食を頼んだのは我々だけ、宿の経営者のムルグ夫妻と息子さんとその彼女とテラスで家族的な雰囲気の夕食を楽しんだ。アペリティフはももの食前酒、前菜は生ハムメロン(メロンはプロバンス地方のカヴァイヨンが有名だが、この辺もメロンの特産地だそうだ)、主菜はバーベキューに白ニンニク(この地方の名物)とパセリで味付けしたトマトとインゲンのあえたもの、デザートはプロフィテロールだった。プロフィテロールは小さいシュークリームの皮のようなものの中にアイスクリームが入り、その上にチョコレートクリームがかけてある。わりと好きで時々注文するけれど、チョコレートとすごい甘さにいつもちょっとまいるのだ。ところが、このプロフィテロールは嫌みが全くなく、軽い自然な甘さだ。夫人のクリスティアンヌさんの手作りで、チョコレートを溶かしたものだけで、他に何も添加していないからいいのだと教えてくれた。
 食事中いろいろ聞いたが、ムルグさんはかっては32年間、観光バスの運転手をしていて、ヨーロッパ中を回っていたそうで、こんな人里離れたところに住んでいるのに、ヨーロッパのどこでも驚くほど詳しく知っていた。定年になったあと夫婦で民宿を経営しているのだそうだ。
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2009年07月27日

パリから南仏への紀行(3) ムデール村、ロワール河の水源地

photolet112.jpg ローソンヌの民宿からそう遠くないところに、ロワール河の水源地があることをパリでネットで発見していた。大ざっぱな表現で正確なところがわからず、水源地は民家の中にあるという。本当に見られるのか。行ってみるかいがあるのか分からなかった。民宿出発の朝、ご主人のギーさんに聞いてみた。
 「すごい人ですよ。何百人も来ているかも」。これはイタリア系の誇張表現だと思った。なにしろ、2年前にセーヌ河の水源地を訪れた時はスタンドのような案内所も閉まっており、訪問者は最初は我々だけだったから、ロワール河の水源の民家を見るのにそんなに人が来る訳がないと思ったし、グーグルマップで調べても複雑そうで行き着けるかと考えていたけれど、「行き方は簡単」という。それならとやはり行くことにした。
 その前に、すぐ近くにムーデールというきれいな村があるから時間があったら見たらという話。うっかり前の民宿の鍵を持って来てしまったので、ローソンヌ村の郵便局から送ったあと、その村に行くことにした。
 そして、午後には目的地の南仏のアルルに着く予定である。


ムデール村
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茅葺き屋根の農家博物館

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物置きも茅葺き。向こうに見える民家も茅葺き屋根

ローソンヌ村からわずか6km ムデール村についた。わずか人口100人の小さな村だが、まず茅葺き屋根のホテルが目についた。こんな小さな村なのにホテルが幾つかある。どうも山歩きの出発点になっているらしい。まだ茅葺き屋根の家が幾つも残っていて、ちょっと別世界に来た感じがあった。幹線道路から遠く離れているためか、この特異な村はフランス人も余り知られていないらしい。典型的な茅葺き建築が残っている農家博物館に行ってみる。壁は火山岩による丸っぽい石積みである。塀も同じような石積みで、昔、沖縄の竹富島でみた石積みの壁とそっくりだった。何か日本にもありそうな感じが親近感を呼ぶ。
 説明ガイドと一緒でないと中に入れない。1時間待たないといけないというこで、先を急ぐので残念ながら内部を見るのをあきらめた。

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農家博物館の横は羊の飼育地になっている。羊の表情も一頭、一頭違っている。

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村を一周しながら、石造りの素朴な教会も見る。なんとものどかな村だった。


ロワール河の水源地
ジェルジエ・ド・ジョンク山


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ジェルジエ・ド・ジョンク山。手前が売店のスタンド

 ムデール村から南下して、ロワールの水源地に向かう。丘陵地帯というよりむしろ山越えといった感じ。高度1000を超えているせいか、木はあまりまく、緑のビロードといったところで、時にスキーの簡易リフトが見える。冬は雪が多いのだろう。この辺でオーヴェルニュ地方と別れを告げ、また、ローヌ・アルプ地方に入る。
 美しい景色に見とれているうちにいつもまにかジェルジエ・ド・ジョンク山についた。駐車場には車がたくさん止まっており、この山は丘の上にさらに付け足したように盛り上がっている。もしかしたら昔は火山で、溶岩が盛り上がった跡なのだろうか。山まではハイキングコースになっているようで、入場料2ユーロとある。この中にロワール河の水源があるのかとチケット売り場の人に聞くと、それは車道の向こう側の少し降りたところだと教えてくれた。途中には食べ物を売るスタンドが続く。

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ロワール河の水源

 わずか20-30m 降りた所。にレストラン建物と土産物の小屋が二つある。この小屋の入口のところにロワールの水源があるのだ。勿論、ジェルジエ山なあたりに降った雨がここに集まるのだろう。奥の店には絵はがきやこの地方の特産物を売っている。
 ロワール河は全長1013km でフランスで一番長い河。大西洋に注いでいるのだが、フランス地図を見てもらうと、もう地中海のすぐそばだ。観光で有名なロワールの城からは随分離れている。調べるまではこんなところに水源地があるとは夢にも思わなかった。
 かなりの人が訪れており、民宿のギイさんの言葉もそんなにいい加減ではなかったのだ。

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前の写真の所に溜まった水が一時地下に入りまたでて来る

 まだこの時点では川?幅は5〜10cm。これから、オルレアン、トゥール、ナントなどを通り、延々1000km の旅をして、大西洋に流れ込むわけだ。


アルルへ
 水源地からはどんどん山を下って行く。気温がどんどん暑くなっていく。もう南仏はすぐ近く。サンドロン川の渓谷を下り、途中、ヴァル・レ・バンという温泉地の公園でサンドイッチを食べ、川沿いを下り続け、アレスからはやっと高速のいい道、ニームを通って、目的地、プロヴァンス地方のアルルに着いたのは午後5時過ぎだった。
 アルルはかってはプロヴァンス地方のキャピタルで、ローマ時代の多くの遺跡も残ることから、ユネスコの世界遺産にもなっているが、今回は今年で40周年になる国際写真祭を見るのが目的、もう何回も行っているので、他の見学はしなかったので、今回は取り立てて紹介はしないので、南仏までの紹介は一応終わる。アルル写真祭については別のブログで紹介するつもりだが、ちょっと専門的になるかもしれない。まもなく発表する予定なので、ちょっと待って下さい。
 この紀行の続きはパリへの帰路通ったところの紹介ということになる。主な場所はロマネスクの教会のモワサック、リモージュの陶器博物館、世界遺産の中世の壁画があるサン・サヴァンの予定。
 
 

 
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