2009年08月16日

パリから南仏への紀行(7最終回) サン・サヴァン修道院付属教会を見る

サン・サヴァンへ

photolet171.jpg 南仏紀行も今日が最終回。ラ・トリムイユを出発し、サン・サヴァンを見て、夕方にはパリに戻ることになる。
 フランスの民宿は常に朝食付き、パン、コーヒー、紅茶などがメーンの簡単なものだが、自家製のジャムを出してくれるところが多いので楽しい。ラ・トリムイユ民宿からユネスコ世界遺産に登録されている修道院付属教会があるサン・サヴァンまで約20km。雨の中すぐに町までついてしまった。町の正式名称はサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ。ガルタンプ川のほとりにあるためだ。
 そもそも、サン・サヴァンに行くことになったのは、馬杉宗夫の『黒い聖母と悪魔の謎』を読んで、その天井画を見るために行ってみたいと思っていて、今回の旅行のパリへの帰路に通ることを計画したわけだ。勿論、ユネスコ世界遺産に登録されているから、写真を撮りに行って見たかったということもある。

サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会

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ガルタンプ川越にサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会を見る

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入口前の駐車場から見たサン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会

 町の中心の細い道に入ってしまうと教会の尖塔を目指したつもりだが、方向がわからなくなった。雨で太陽がないから影も出来ずなおさら。なんとか教会にたどりついた。
 ガイドと回ると教会玄関の上のトリビューン(階上廊)も見られるとのことで、少し待ってガイドと一緒に見ることにした。
 修道院の起源は、伝説によれば、5世紀にサヴァンとシプリアンの兄弟がキリスト教徒のため追われイタリアから逃げて来て、このガルタンプ川のところで殉死した。これを記念してシャルルマーニュ王の宮廷の聖職者のバイディリスが800年ころこの場所に修道院を建てられたとのが始まりとのことだが、詳細は分かっていないらしい。

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教会内部

 横手の入口から教会の中に一歩中に入ると、長さ42m 幅17m の身廊部分の細長い半円筒形の高い天井一杯に壁画が描かれているのに圧倒されてしまう。ロマネスク時代の「システィナ礼拝堂」と言われているのも納得がいく。ただしバチカンのミケランジェロ作のシスティナの方はルネサンスの繊細な写実的壁画だが、こちらの方は10世紀に描かれ、作者もはっきり分からないが、シンプルな曲線をベースに、よりプリミティブで力強い。壁を湿らせた上に描くというフレスコ画に近い独特の方法で行われ、青の顔料が使われていないため、茶色っぽい感じが、ちょっと昔の色あせたモノクロ写真を思わせるような特別の雰囲気をかもし出している。何故か高松塚古墳の壁画を想像してしまった。
 これまでもフランスの教会を訪れた時、壁面に壁画の痕跡が僅かに残っているのを何度も見て来た。このような傷み易いものがまだきれいに残っているのも不思議だが、いくども修復されており、特に19世紀にプロスペル・メリメの修復保存策のお陰で助かったのだとのガイドの説明があった。メリメといえば戯曲カルメンの原作者の小説家だから、フランス語の説明は聞きづらいから聞き違えたのかと思って後で質問したら、メリメは当時歴史記念物の検査官でフランス中の古い建物の修復に関わっていたのだとわかった。

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身廊の天井の旧約聖書を題材とした壁画

 天井画は身廊に沿って4列に52の場面(消失しているものもいくつかある)が描かれているのだが、天井が高いので、肉眼では見にくい上、多くは説明がないと分かりにくい。実はこれらの絵はすべて旧約聖書からで、最初の「創世記」の天地創造から「出エジプト記」の神からモーセが十戒の石版を受ける場面までが扱われている。時系列順につながってはいるが、途中で方向転換したり、くねりながら続いている。これについては馬杉氏(参考文献)も説明しているが、ガイドさんの説明でも、中国の風水のようにいい方向とか悪い方向があって、それを考えながら並べていったらしいのである。
 次にいくつかの場面の写真を紹介してみよう。

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ノアの箱船

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ノアの泥酔 
 
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神から十戒の石版を受けるモーセ
 
 壁画は身廊部分だけでなく、ナルテックス(玄関口)、トリビューン(階上廊)にはキリストの栄光をたたえる場面などが、クリプト(地下祭室)にはサン・サヴァン伝説のサヴァンとシプリアン、車輪の刑を受けている場面などが、所狭しと描かれている。

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ナルテックス壁画:栄光のキリスト(ヨハネの黙示録より)

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ナルテックス壁画:女性とドラゴン

 最近改装された修道院の部分には壁画のシーンをテーマ別にいくつもの部屋に分けて説明されており、映写室では壁画作成者を主人公にフィクション風に制作された映画が上映されていた。

 修道院を出るといつのまにか雨は上がっていた。パン屋でキッシュと飲み物を買って、川の向うの教会がきれいに見える場所で昼食を取り、サン・サヴァンを後にした。



アングル・シュール・ラングラン城跡
 もう真っすぐパリに戻るつもりだったが、20kmほど北上したところに城の廃墟がある美しい村があって、そこで休んだ。
 アングル・シュール・ラングランという村で、城は11世紀に建てられたが、16〜17世紀、宗教戦争、フロンドの乱などで、被害を受け、18世紀初めに完全に見捨てられ、さらにフランス革命で建物を滅茶苦茶に壊されてしまったという。
 すぐ近くに、石器時代の洞窟があって、洞窟絵画は珍しくレリーフになっているらしいのだが、見学するとパリに戻れなくなってしまうので、また機会があったらということにした。
 下にいくつか写真を紹介する。

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城跡の外れのチャペルの前の高台から

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城跡から見たラングラン川。城跡は村の管理下。入場料 1.5 ユーロ

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城跡。植田正治さん風に傘を持ってもらった

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サン・サヴァン修道院付属教会
2、3、11、12月:10〜12:00、14〜17:00(日曜午前休)
4、5、6、9、10月:10〜12:00、14〜18:00(日曜午前休)
7、8月:10〜19時
(1月、12月25、31日休)


参考文献
『黒い聖母と悪魔の謎』馬杉宗夫著 1998 講談社現代新書
吉川逸治氏はサン・サヴァン壁画研究のスペシャリストで、『サン・サヴァン教会堂のロマネスク壁画』 新潮社 1982が有名とのこと、日本に戻ったときに求めて読んでみたいと思っている。
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2009年08月14日

パリから南仏への紀行(6) リモージュからラ・トリムイユの民宿へ

photolet152.jpg 今日の旅程はまずリモージュの町を見たあと、次に見たいサン・サヴァン聖堂の手前にあるラ・トリムイユ村の近くの民宿までである。

磁器と七宝(エマイユ)の町リモージュ
 民宿のあるパナゾルからはほんの10分もかからずリモージュに着く。リモージュは磁器と七宝で有名な中都市だ。ジモージュは前にも来ていたが、陶磁器の好きな家内がもう一度陶器博物館を見たいというので寄ってみるこのにしたわけだ。町に着くとまずツーリストオフィスで情報を得る。ちょうどツーリストオフィスの回りは、リモージュ焼きの店が立ち並んでいたが、買うのが目的でないので博物館へ急ぐ。





アドリアン・デュブーシェ国立博物館

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アドリアン・デュブーシェ国立博物館

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アドリアン・デュブーシェ国立博物館内部

 リモージュの陶器博物館は二つある。一つはサンテティエンヌ大聖堂の前の市立の司教館博物館で、前回訪れた時はロシア七宝展をやっていたが、今回は改装中で閉まっていた見られなかった。もう一つがアドリアン・デュブーシェ国立博物館だ。
 この博物館の前身は19世紀中期の歴史考古学協会から発展したリモージュ博物館。1865年にこの博物館の館長に選ばれたアドリアン・デュブーシュ(1818〜81)はかっての精神病院の廃墟に博物館を新設することを市に提案、多くの作品を収集、友人の東洋陶磁器の専門家、アドリアン・ジャックマールが亡くなった時、そのコレクションのすべてを私財で買上げ、博物館に寄付した。その後、博物館は国の担当になり、アール・ヌーボー様式を採用など、新しいコンセプトで大改造され1900年陶器博物館に生まれ変わった。七宝などの陶磁器以外のコレクションは司教館博物館に移されたが、博物館発展に功績のあったアドリアン・デュブーシュを記念してこの名の博物館になったわけだ。

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ぶどうの実と柄の中央部分の青い点の部分が透けている珍しいもの。リモージュ

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パリの19世紀末のもの

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ピカソ作の皿も飾ってあった

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イスラム陶器も展示されている

 上にコレクションの幾つかをしめした。一階はリモージュの作品を中心にパリ(セーブル焼きを含め)など他のフランスの陶磁器を、二階には中国、日本など東洋のものなど世界的に価値あるコレクションが展示されている。

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石が融けたもの

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磁器製造に必要な左からカオリン、石英、長石

 リモージュの磁器が生まれるきっかけは1768年に近くのサン・イリエイ・ラ・ペルシュでカオリンが発見されたことによる。18世紀はじめにすでにドイツでカオリンが発見されてはいたが、磁器は中国、日本など東アジアが中心でヨーロッパでは作られていなかった。このカオリン発見、しかも純白の高品質のもので、次第にリモージュの磁器は発達して今日に至る。
 一階左奥の部分には磁器の製造に必要な材料、製造装置、製造法の説明などにあてられていた。


リモージュの七宝(エマイユ)
 リモージュの七宝は磁器より古く、12世紀から始まっている。今回は司教館博物館が修復中のため、制作しているのが見られるかと、シテ大通りのメゾン・ド・レマイユ(七宝の家)に行ってみたが、開くのは午後2時ということで、これもあきらめることにした。

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 旧市街の歴史地区(上写真)には七宝の店が多くあると聞き、行ってみたが、みな土産物風で、大方は昼休みで閉まっている。今回は七宝見学については思うな成果は上がらなかった。


手袋製造の町、サン・ジュニアンに寄る
 歴史地区でサンドイッチの昼食。この時、家内のガラス作品をマネージャー的に面倒を見てくれているカトリーヌさんから携帯に電話が入った。今、リモージュにいると言うと、自分の生まれた町のサン・ジュニアンがすぐそばにあるから時間があったらよってみたらという。最初よき聞き取れないので、サン・ジュリアンだと思って探したが、なかなか分からない。やっとジュニアンだと分かり、食事が終わって、ちょっと寄り道になるが、約30km西の小さな町サン・ジュニアンに行った。ここは皮手袋製造業の町。カトリーヌさんのお父さんも手袋製造の会社を経営していたそうだ。今でも町の中心から歩いていけるだけでも5軒の手袋製造所がある。その一つを見学してきた。


ラ・トリムイユに着く
 サン・ジュニアンからラ・トリムイユ村まで、田舎道を走って北上、約70km。そんなに遠くないので1時間くらいでついてしまった。道路標示がちょっと違うので電話したらもう着いているのだという。向うから主人のヴエさんが迎えに来てくれた。

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 まだ夕食まで、1時間ほどあるので散歩する。小川を横切ると柵の向うに馬が走っている。刈ったあとの麦畑の中を歩くがどこまでも続いている。あとで聞いたらこれは全部もともとヴエさんの土地だが、もう年を取ったから息子たちに譲って、自分達は民宿をやっているのだそうだ。全部で200ヘクタール(1km x 2 km にあたる)あるのだそうだ。フランスはサラリーマンや店の経営者だと退職したあと年金だけで十分食べて行けるけれど、農業の場合はちょとシステムが違って、生活費が十分でないので民宿をやって補っているところが多いようだ。あとは息子たちに農業の助言をしてあげている。

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 家の前庭には鳥小屋があって、オームやインコがたくさんいた。これを飼うのがヴエさんの趣味ということだった。

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 ここはご主人たちは別に夕食をとる。イギリスから自転車でフランス縦断を目指す Change my life というグループが来ていて、一緒に食事をした。まず、スロー(桜属の低木、フランス語ではプリュネル)の若芽から作った食前酒。前菜がロレーヌ風キッシュ。本菜がバスク風ピーマン・トマト煮(写真)。デザートがマケドニアサラダ(フルーツサラダ)であった。

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 フランスの夏はいつまでも明るい。また散歩して来たらとヴエさんが勧めるので出発、猫がアジサイの間から現れた。猫好きの家内は大喜びで抱き上げる。

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 息子の家の庭にはまだらのポニーが飼われていた。

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 来た時に通った道まで戻ってみる。この両側ともずっとヴエ家族の農地だ。
 
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左から家内の由実子、ジャクリーヌ、ジェラールのヴエ夫妻。

 ヴエ夫妻も後から散歩でやって来たので、記念撮影。
タグ:民宿
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2009年08月12日

パリから南仏への紀行(5) モワサック

モワサックからリモージュへ

photolet129.jpg 今日の旅程はモワサックを見て、車で240kmリモージュへ。モワサックを中心に紹介していく。

モワサック
 最近、フランスのロマネスク美術には興味がある。そこにはルネサンス以来の写実的表現でなく、プリミティブで力強く、時にはユーモアのある特異な表現が見られるからだ。今まで、ヴェズレー、オータン、コンクなどは見たのだが、モワサックにぜひ行ってみたいと思い、今回はアルルの帰り道、少し遠回りになるのだけどあえて計画してみた。今朝の出発地のピュイコルネからは20kmくらい、途中ラ・フランセーズという村を通り、30分くらいで、モワサックに着いた。
 モワサックはル・ピュイから始まるスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路にある。その修道院と付属教会は1998年にユネスコ世界遺産として認められたフランスの巡礼路の多くの場所の一つとして登録されている。


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サン・ピエール教会

 モワサックの修道院は6世紀フランス最初の王クローヴィスにより作られたと伝えられるが、実際には7世紀カオールの司教の聖ディディエが作ったという。アラブ人、ノルマン人の侵入で弱体化したが、11世紀にクリュニー修道院の援助を受けて大きく発展するが、その後またアルビジョワ十字軍の戦争、百年戦争、宗教戦争で打撃を受け、ついにフランス革命ではさらに傷めつけられ閉鎖されてしまう。19世紀の鉄道建設では修道院の敷地は二つに割られてしまった。現在再興され、付属教会と回廊が見られるだけでも幸いである。

サン・ピエール教会入口 旧修道院付属だったサン・ピエール教会は11世紀に建てられ、15世紀に付加、改築され現在の姿になった。外部の見どころは南入口玄関。タンパン(半円形の部分)はロマネスク美術の最高傑作と言われ、ヨハネの黙示録第4章を表わした「栄光のキリスト」のシーン。その回りに4人の福音史家、24人の長老がキリストに視線を向けて配置されている(下写真)。

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タンパン

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中央の柱              エレミア像

 タンパンの下中央の柱の正面(南側)はX形に交わる2匹のライオンが上下に3組、横面には聖パウロとエレミアが彫られている。後者は特に傑作と言われているのだが、前もって勉強していなかったので、大事な作品と知らず正面からの写真を撮り損なった。それが返って幸いしたか、斜めから見ると縁の波形の曲線が実に美しい。この柱が1つの石でできているというのもすごい。

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苦しめられる淫乱の女

 この淫乱の女性の彫刻のことは馬杉さんの本(下:参考文献)に出ていたので、親近感があった。かなり傷んでいてリアルな感覚は受けなかったが、やはりじっくり見ると、裸体の女性自体のグロテスクな姿に蛇やカエルが乳房や性器に噛み付く、相当に残酷、無気味な世界だ。

他にいくつか入口の写真を紹介する。

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  入口両側にある教会の守護聖人ペトロ(左)と預言者イザヤ(右)像

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入口右上から、聖家族のエジプト逃避



教会内部 

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 教会内部に入るとその黄色っぽいその明るい感じに驚かされる。それは下の写真のように壁中に編み目のような模様が描けれているためだ。タッチが分かるようにアップで示したのだが、この点描法のような感じは当時からあったのだろうか。それとも1963年に改修された時に塗り変えられたのか。もし19世紀中期の印象派の画家が現れる前だったら興味深い。

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 内部全体の感じはゴシック式の感じで、ロマネスク時代のものは外陣の土台部分など一部に限られている。回りには主に15世紀の木彫や石彫が幾つか置かれていた。

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左に聖ヨハネ、中央ピエタ像。右がマグダラのマリア

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前の写真のピエタ像の部分

 上の写真は15世紀のピエタの石像。左右の聖ヨハネ、右のマグダラのマリアを見てほしい。頭でっかちの表現が面白くユーモアがあり、今日の一部のマンガに共通するところがあるのではないか。

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photolet141.jpg この石棺は4世紀にピレネーの大理石で作られたもので、13世紀に修道院長の遺体を入れるために再利用された。側面中央にキリストを表わすシンボルが描かれている(左写真)。この図形は本では見ていたが実際初めて目にした。キリストをギリシャアルファベットで表記した時の最初の二つの文字、XとPを重ねたものの左にアルファ右にオメガの文字が置かれている。アルファ・オメガはキリストを意味している(ヨハネ黙示録22章13に「私はアルファであり、オメガである」とある)。

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 この木彫りの彫刻、なにかルーブル美術館で見たメソポタミアやエジプトの石のレリーフに描き方がとても似ているので取り上げてみた。王様が椅子に座り、そこに挨拶に向かうものたちのシーンが真横から描かれる。教会の内部というのはキリスト教の中心であるはずなのに、ケルト、オリエント、エジプト、アラブなどの異教的の要素が非常に多く見られるのは実に興味深いものだ。


回廊

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 モワサックの回廊は世界一美しいとさえ言われている。教会の後ろの広場にツーリストオフィスと並んで入口がある。有料だが、1回買えばその日は一度出ても何回でも入場できる。30分ごとにガイドが説明してくれるというので、かっての修道院全体の模型を見ながら待った。

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 ガイドさんは大学で美術史を専攻するという女子学生のルシルさん。幸い数人の少数なので分からない時は自由に質問できる。この回廊が出来たのが1100年というのが暗号で書かれている柱とか、76本柱にある柱頭彫刻についても詳しく説明してくれた。世界一かどうかはともかく、これだけ広く整然としている回廊は初めて見た。

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ライオンと闘うサムソン

 76の柱頭彫刻中、聖書や聖人の物語を表わしたものが46柱、これが時代順とかでなく、植物模様などの装飾柱頭とテーマを表わす柱頭が微妙に絡まって配置されている。個々の作品の表現の仕方も非常にシンプルで興味深い。これらの彫刻は工房でつくられているので、一つ一つの作品の作者は記されていない。

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上は教会の横、回廊の後ろ側にある博物館に飾られていた。ガイドさんも言っていたが、かって回廊は丸天井であったことを示している。

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 上はこれもかっては修道院の一部だった博物館を見たあと散歩して、線路の上の陸橋から撮った写真。線路の右にあるのは現在ロマネスク美術センターとその付属図書館になっている。これもかっては修道院の一部だった。鉄道の線路がかっての修道院を引き裂いてしまったわけだ。始めに見た修道院の模型は現在の回廊と教会よりずっと広い範囲に広がっていた。現在、アフガニスタンなどの過激イスラム教徒が世界的な遺跡を破壊して問題になっているが、フランス革命などでも同じような蛮行が行われていたわけだ。世界の歴史は「国破れて山河あり」でありしかたがないのかもしれないが、一体人間の歴史とは何だろうとふと考えてしまう。

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 散歩のあと少し離れた広場でのカフェでサンドイッチの昼食、もう一度回廊を見たあとモワサックを後にした。


リモージュへ
 モワサックをゆっくり見てしまったので、時間がなくなったが、途中の奇麗だと言う丘の上のロウゼルトという村に寄ってみた。

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ロウゼルトの丘の上の広場

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見晴しのいい自然の中の道があった

 この後、カオールの先で、高速に入り、目的地のリモージュの郊外のパナゾルという町の民宿に着く。都市のすぐ近くなのに、自然の中。民宿の敷地はもの凄く広い。夜は食事はでないのだが、キッチン付きなので、スーパーで買物をして、夕食は簡単にすませた。

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パナゾルの民宿

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参考文献
-「黒い聖母と悪魔の謎」馬杉宗夫著 1998年 講談社現代新書

- 書くにあたってたまたま検索で見つけた
http://www.geocities.jp/existenzerhellung/text/france_romanesque/saint_pierre.html
は良く出来ていた参考になったが、残念ながら作者がでていない。
posted by Jun SATO at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

パリから南仏への紀行(4) アルルからモンペリエそして帰路へ

photolet120.jpgアルル滞在
 南仏アルルでは国際写真祭を見るために4日間滞在した。アルルにはもう何度も行っているので、写真祭以外は特に見学はしなかったが、土曜に出る朝市はゆっくり見て回った。アルルの朝市は中心地の城壁の外側を回る大通り伝いにずっと続いている相当な規模だ。野菜、果物も新鮮でパリの半額くらいで買える。メロンの特産地のカヴァイヨンのメロンを2個買った。
 いつもいっているプロバンス料理のレストランで食べた子羊の足をその胃袋での料理は珍しいもだった。マルセイユではこれを屋台で食べられると聞いたのはモンペリエに着いたあとだった。

モンペリエ
 アルルから西へ約70km、友人の日仏カップルの住むモンペリエには2泊した。ここはもはやプロバンス地方でなく、ラングドック・ロシヨン地方に属する。10世紀ころ出来た比較的新しい町だが、すでに13世紀に医学校ができ、当時は文化が進んでいたスペインのユダヤ人、アラブ人が教えに来たらしい。今日でもモンペリエ大学の医学部、薬学部は有名である。
 モンペリエに着いた日は、ご主人のジャンシャルルさんがシェフをしているレストランのシェフをしていて、仲間の料理人たちのグループに入れてもらって、郊外の湖のほとりにピクニックに行った。
 町の中心のコメルス広場あたりを散歩するのは気持ちがいいのだが、モンペリエは3度目だったので観光はしなかった。家内の作品が町のガラス専門のギャラリーに置いてあったのを見に行った他は、家で子供の相手をしながらゆっくり過ごし、旅の疲れを癒した。その日はジャンシャルルさんが休みの日で、料理の話を聞いた。ジャンシャルルさんは料理の話となると目の色が変り、分からないと分厚い料理辞典を持って来て調べる。アイディアが湧くと一人テラスに座ってレシピを書き込んだりしていた。

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湖のほとりは芝生になっている。子供たちが飛び回るにはぴったりの場所

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ちょうどリヨンのレストランを経営するアレクサンドル(左)とマシャ(中)夫妻も来ていた。奥さんのマシャはロシア人でロシアの前菜(ビート、キャベツ、ニシン、ポテト、タマネギ)をたくさん作って来た

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モンペリエのガラス専門ギャラリー。中央の螺旋状のガラス作品が家内のもの


帰路、ピュイコルネという小さい村のはずれの民宿へ
 いつの間にかパリに戻る時になってしまった。しかし、今回は帰路も見たい目的地がいくつかある。その一つがモワサック。今までもフランスのロマネスクの村をいくつか訪れているけれど、一度行って見たかったのがこの小さい町。近くの民宿ガイドブックで宿を探したが、もうみな空いていない。あきらめかけたが、インターネットで検索した民宿は空いていた。モワサックから20kmくらい離れた小さな村だ。
 300kmくらい、ちょっと距離があるので、いつものように県道を通らず、モンペリエから高速で、トゥールーズの横を通って、まずモンタバンに寄る。ここにアングル美術館があることを出発前に発見したので、ぜひ見たかったのだが、本日は休館。また次回ということにした。
 ここからはもう目的地の村まで20km弱、県道を通って、直前で少し迷ったが無地に着くことができた。

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民宿はなだらかな丘陵地帯の農地の中にあった

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民宿に入る小道のところに牛肉を売りますの立て札が。これは民宿の経営者の兄弟の農場だった。

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近くのひまわり畑

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夕食のバーベキューを作るご主人

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ムルグ夫妻と息子とその彼女と一緒に食事

 夕方に着いたが食事まで1時間余り時間があるので、近くを散歩した。ここは農地のど真ん中だが、林の中を進んで行くとぶどう畑の向うにきれいなひまわり畑があった。
 民宿には他に2組泊っていたが、夕食を頼んだのは我々だけ、宿の経営者のムルグ夫妻と息子さんとその彼女とテラスで家族的な雰囲気の夕食を楽しんだ。アペリティフはももの食前酒、前菜は生ハムメロン(メロンはプロバンス地方のカヴァイヨンが有名だが、この辺もメロンの特産地だそうだ)、主菜はバーベキューに白ニンニク(この地方の名物)とパセリで味付けしたトマトとインゲンのあえたもの、デザートはプロフィテロールだった。プロフィテロールは小さいシュークリームの皮のようなものの中にアイスクリームが入り、その上にチョコレートクリームがかけてある。わりと好きで時々注文するけれど、チョコレートとすごい甘さにいつもちょっとまいるのだ。ところが、このプロフィテロールは嫌みが全くなく、軽い自然な甘さだ。夫人のクリスティアンヌさんの手作りで、チョコレートを溶かしたものだけで、他に何も添加していないからいいのだと教えてくれた。
 食事中いろいろ聞いたが、ムルグさんはかっては32年間、観光バスの運転手をしていて、ヨーロッパ中を回っていたそうで、こんな人里離れたところに住んでいるのに、ヨーロッパのどこでも驚くほど詳しく知っていた。定年になったあと夫婦で民宿を経営しているのだそうだ。
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2009年07月27日

パリから南仏への紀行(3) ムデール村、ロワール河の水源地

photolet112.jpg ローソンヌの民宿からそう遠くないところに、ロワール河の水源地があることをパリでネットで発見していた。大ざっぱな表現で正確なところがわからず、水源地は民家の中にあるという。本当に見られるのか。行ってみるかいがあるのか分からなかった。民宿出発の朝、ご主人のギーさんに聞いてみた。
 「すごい人ですよ。何百人も来ているかも」。これはイタリア系の誇張表現だと思った。なにしろ、2年前にセーヌ河の水源地を訪れた時はスタンドのような案内所も閉まっており、訪問者は最初は我々だけだったから、ロワール河の水源の民家を見るのにそんなに人が来る訳がないと思ったし、グーグルマップで調べても複雑そうで行き着けるかと考えていたけれど、「行き方は簡単」という。それならとやはり行くことにした。
 その前に、すぐ近くにムーデールというきれいな村があるから時間があったら見たらという話。うっかり前の民宿の鍵を持って来てしまったので、ローソンヌ村の郵便局から送ったあと、その村に行くことにした。
 そして、午後には目的地の南仏のアルルに着く予定である。


ムデール村
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茅葺き屋根の農家博物館

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物置きも茅葺き。向こうに見える民家も茅葺き屋根

ローソンヌ村からわずか6km ムデール村についた。わずか人口100人の小さな村だが、まず茅葺き屋根のホテルが目についた。こんな小さな村なのにホテルが幾つかある。どうも山歩きの出発点になっているらしい。まだ茅葺き屋根の家が幾つも残っていて、ちょっと別世界に来た感じがあった。幹線道路から遠く離れているためか、この特異な村はフランス人も余り知られていないらしい。典型的な茅葺き建築が残っている農家博物館に行ってみる。壁は火山岩による丸っぽい石積みである。塀も同じような石積みで、昔、沖縄の竹富島でみた石積みの壁とそっくりだった。何か日本にもありそうな感じが親近感を呼ぶ。
 説明ガイドと一緒でないと中に入れない。1時間待たないといけないというこで、先を急ぐので残念ながら内部を見るのをあきらめた。

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農家博物館の横は羊の飼育地になっている。羊の表情も一頭、一頭違っている。

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村を一周しながら、石造りの素朴な教会も見る。なんとものどかな村だった。


ロワール河の水源地
ジェルジエ・ド・ジョンク山


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ジェルジエ・ド・ジョンク山。手前が売店のスタンド

 ムデール村から南下して、ロワールの水源地に向かう。丘陵地帯というよりむしろ山越えといった感じ。高度1000を超えているせいか、木はあまりまく、緑のビロードといったところで、時にスキーの簡易リフトが見える。冬は雪が多いのだろう。この辺でオーヴェルニュ地方と別れを告げ、また、ローヌ・アルプ地方に入る。
 美しい景色に見とれているうちにいつもまにかジェルジエ・ド・ジョンク山についた。駐車場には車がたくさん止まっており、この山は丘の上にさらに付け足したように盛り上がっている。もしかしたら昔は火山で、溶岩が盛り上がった跡なのだろうか。山まではハイキングコースになっているようで、入場料2ユーロとある。この中にロワール河の水源があるのかとチケット売り場の人に聞くと、それは車道の向こう側の少し降りたところだと教えてくれた。途中には食べ物を売るスタンドが続く。

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ロワール河の水源

 わずか20-30m 降りた所。にレストラン建物と土産物の小屋が二つある。この小屋の入口のところにロワールの水源があるのだ。勿論、ジェルジエ山なあたりに降った雨がここに集まるのだろう。奥の店には絵はがきやこの地方の特産物を売っている。
 ロワール河は全長1013km でフランスで一番長い河。大西洋に注いでいるのだが、フランス地図を見てもらうと、もう地中海のすぐそばだ。観光で有名なロワールの城からは随分離れている。調べるまではこんなところに水源地があるとは夢にも思わなかった。
 かなりの人が訪れており、民宿のギイさんの言葉もそんなにいい加減ではなかったのだ。

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前の写真の所に溜まった水が一時地下に入りまたでて来る

 まだこの時点では川?幅は5〜10cm。これから、オルレアン、トゥール、ナントなどを通り、延々1000km の旅をして、大西洋に流れ込むわけだ。


アルルへ
 水源地からはどんどん山を下って行く。気温がどんどん暑くなっていく。もう南仏はすぐ近く。サンドロン川の渓谷を下り、途中、ヴァル・レ・バンという温泉地の公園でサンドイッチを食べ、川沿いを下り続け、アレスからはやっと高速のいい道、ニームを通って、目的地、プロヴァンス地方のアルルに着いたのは午後5時過ぎだった。
 アルルはかってはプロヴァンス地方のキャピタルで、ローマ時代の多くの遺跡も残ることから、ユネスコの世界遺産にもなっているが、今回は今年で40周年になる国際写真祭を見るのが目的、もう何回も行っているので、他の見学はしなかったので、今回は取り立てて紹介はしないので、南仏までの紹介は一応終わる。アルル写真祭については別のブログで紹介するつもりだが、ちょっと専門的になるかもしれない。まもなく発表する予定なので、ちょっと待って下さい。
 この紀行の続きはパリへの帰路通ったところの紹介ということになる。主な場所はロマネスクの教会のモワサック、リモージュの陶器博物館、世界遺産の中世の壁画があるサン・サヴァンの予定。
 
 

 
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2009年07月25日

パリから南仏への紀行(2) カステル・モンターニュ 〜 サン・ボネ・ル・シャトー 〜 ローソンヌ

カステル・モンターニュ

photolet99.jpg 今日の旅程はオーヴェルニュ地方を南に下り、ローソンヌというところの民宿まで行く予定だ。マイエ・ド・モンターニュの民宿の女主人のミレイユさんに途中どこかいいとこがないか聞いてみた。まず、近くのカステル・モンターニュという村があるので、行ってみてばという。6kmくらい戻らなければいけないのだが、また来るといってもいつになるかわからにので、やはり行ってみることにした。その先は、サン・タンテーヌとサン・ボネがいいというが、方向が違うので、サン・ボネの方を通ることにする。









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カステル・モンターニュの教会を下から眺める

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教会内部

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鐘を鳴らす時計仕掛けの装置

 カステル・モンターニュはなだらかな丘の上にある人口約400人の小さな村だった。一番高いところに12世紀の古い教会がある。灰色の花崗岩でできたざらざらした感じだが、中に入ってみても、バランスがとれて、建築の線も美しい。実に質素で、静けさを感じさせる。
 中央、横の壁に時計仕掛けの装置を発見、数本のワイヤーが上に延びていて、鐘楼の鐘をならす装置とわかった。

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ソフィー・アラテールさんのお店、横にアトリエがある

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七宝家、ソフィー・アラテールさん

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彼女の小さな作品のいくつか

 この村は職人、アーティストを援助しているようで、アトリエの地図があり、訪問しやすいようになっている。陶芸や織物のアトリエも面白いが、七宝のアトリエを見て昨日の家内の疑問が解決されることになるとは思ってもいなかった。
 村役場の裏にある、七宝のアーティスト、ソフィー・アラテールさんの小さくて可愛いお店。入って右側に小さいスペースがあり、ここが制作工房、七宝を焼く釜が奥にあった。見ると溶岩の上に七宝がほどこされている。家内が昨日、ムーランの大聖堂で見た宗教画と同じ方式だ。早速、ソフィーさんに質問してみると、彼女は何年か前ヴォルヴィック(ミネラルウォーターで有名な町)でワークショップに参加して学んだという。これは名前を控えなかったのだが、ある作家が石の上に七宝を焼けるかといろいろな石を試し、ヴォルヴィックの溶岩が一番よかったのだそうだ。我々も2年前にヴォルヴィックに行ったけれど、中央山塊のこの地方は1万年以上前には何百もの火山が活動していたらしい。彼女もヴォルヴィックの溶岩を使っているという。記念に小さい作品を一つ買って来た。
 


サン・ボネ・ル・シャトー

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サン・ボネ・ル・シャトーの裏町

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ふと見たら窓のガラスの向こうに猫が。ガラスには丘陵地帯の緑が写り込んでいる。 

 カステル・モンターニュはちょっと立ち寄るはずが、予定より大分遅れて出発、山の中を走り、途中名もない町のカフェで昼食、うさきの肉の見たこともないような大きなかたまりを食べ、ドライブを続行。
 ここで、オーヴェルニュ地方から一時的にローヌアルプ地方に入る、リヨンや特にサンテチェンヌから遠くない。モンブリゾンという町に立ち寄り、その後、宿で聞いていた小さな町、サン・ボネ・ル・シャトーを見た。
 丘の上にゴシック式の教会がある人口約2000人の小さな城塞都市で、教会に通じる石畳の道には15、16世紀の古い建物が残る。東側の城壁の上の道からはボージョレ地方やリヨンにつながる広大な丘陵地帯を見渡すことができる。ツーリスト・オフィスで地図をもらい散歩コースに沿って歩いた。

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教会

上の右の写真を見て欲しい。二つの鐘楼部分が建物の中央部に来ている。普通は入口の方にあるのだが。教会内の見取り図を見ると、前面はあとから付け足されたようである。今度は左の写真。小さくてよく見えないと思うけれど、入口の両側には台座だけ残っていて、そこには宗教彫刻があったと思われる。フランスの教会の多くは、百年戦争、宗教改革、フランス革命と何度も破壊されたり災難に会って来た。今まで多くの教会を見たけれど、彫刻の頭だけ全部はぎ取られていたり、本当にひどいめに会っているのがわかる。これもその一例だろうか。

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ステンドグラス

このステンドグラスは多分そんなに有名なものではなく、どこにでも見られるようなものだが、きれいなので紹介する。



ローソンヌの民宿へ

サン・ボネから南下するとまもなくまたオーヴェルニュに入る。ずっと山岳地帯の細い、曲がりくねった、アップダウンの激しい県道を通るので、移動距離は少ないけれど、かなり時間がかかる。途中、鉛筆のように尖った崖の上に僧院がある有名なル・ピュイの町の近くを通るのだが、すでに訪れていたので、大きい町は混むからあえて別の道を通った。予定より2時間くらい遅れて、目的地のローソンの民宿についた。

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ローソンヌの民宿の中から

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 民宿はローソンヌの村からさらに2kmほど丘の上の方に上ったところにある集落で、標高900m に。回りがすべて緑に囲まれた実に静かな場所だ。経営者はギーとイザベル夫妻。苗字はパッパラルドなので、イタリア系かと思い聞いてみると、ギーさんのおじいさんが南イタリアからフランスに移民してきたそうだ。自分達もマルセイユでピザ屋を経営していたが、子供達も大きくなって世話する必要がなくなったので、田舎で静かな暮しがしたくて6年前にここに移住して来たそうだ。今は民宿経営の他は近くの必要なときだけ近くの農家の手伝いをしているだけだという。
 1部屋1泊42ユーロ。一人18ユーロの夕食をこの日も注文した。ベルギーからのカップルも来ていて。ギーさん、イザベルさんと5人での食卓だった。食前酒は栗のクレームのキールなど。前菜に生ハム、田舎風パテ、自家製サラミのセット。メーンは牛肉のステーキ、にんにくを絡めたハーブ入れた脂身の部分を焦したソース付き。付け合わせにプロバンス風焼きトマトとバターソースであえたゆでインゲン。そのあとチーズセット。デザートのクレープは食べ放題。各種ジャム、蜂蜜を選んでつけられる。2枚目にはグラン・マリニエ酒をかけて食べた。なんか経営度外視と言う感じ。ギーさんはイタリア系のためか大きな声でふざけて見せるし、ほんとうに家族的な雰囲気であった。
(これも画像がなくすみません)
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2009年07月23日

パリから南仏への紀行(1)オーヴェルニュ ムーラン大聖堂を見る

パリから南仏アルルまで、車で写真祭を見に行った。その途中の様子を紹介します。

photolet89.jpgパリからリヨンを通って南仏まで行く高速道路は何回も通っていて(フランスではPLM(パリ - リヨン - マルセイユ)と言ってフランスの幹線、東京-名古屋-大阪のようなもの)面白みがないので、今回も地方を通って民宿に泊まりながら南下していくルートを選んだ。特に、帰路はロマネスク修道院で有名なモワサックを見てみたかった。

パリから幹線道路の高速6号線をリヨンに向かい約70キロ、以前はなかった高速77号線に入って南下する。ヌベールという町までこの高速が続くが、何と言ってもこの道は無料なのが魅力。ここから国道7号線に入って、オーベルニュ地方の入口の中都市ムーランで一休み。パリから約300kmの道のりだ。中心部の旧市街は昔の雰囲気が残る散歩コースがある。以前2回行ったいるが、まだ行ったことがないという家内に見せたかった意味もある。


ムーラン大聖堂

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旧市街からムーラン大聖堂を見る

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大聖堂内部

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ステンドグラス

余り時間がないので、とにかく、大聖堂を見ることにする。正式名称はノートルダム大聖堂。かっての公爵宮殿、祭式者会教会のあとに15世紀末に建造されたフランボイヤン式ゴシック建築。中に入った時の感じは特に目立ったものは感じられなかったが、奥の内陣の壁面の円形にカーブした部分にそっていくつもの美しいステンドグラスが見られた。

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旧市街へ

教会を出て、中世の雰囲気を残す旧市街の散歩道を通って、ツーリストオフィスに行く。家内がそこで売っているポストカードを見て、どこかで見た宗教画だという。柳井浩の黄金分割を説明した本に出て、ムーランにある絵で前から見たかったのだという。日本語にするとやはりムーランとなってしまう別の町もあったりして、頭の中でつながらなかった
らしい。ツーリストオフィスの人に確認すると、これが大聖堂にある有名な3枚続きの祭壇画で必見のものとわかった。まだ大聖堂に戻った。

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ムーランの大画家の三連祭壇画 (撮影禁止なので使用可能な画像を使った)

なんで気が付かなかっただろう。これは特別室に飾ってあるので、気がつかなかったのだ。目立たない張り紙はしてあったが、なにぶんフランス語で書いてあるので、大事なことだと思わず見落としてしまったのだった。50代くらいの女性が2人、特別室の入口にいて、祭壇画を見たいというと案内してくれた。特別室に入ると、音声ガイダンスに合わせて、閉じられていた三連画が両側に開けられると、すばらしい宗教画があらわれた。これは『ムーランの大画家の三連祭壇画』と呼ばれている作品である。作者は不明だが、ジャン・エイの作との説が有力で1502年に完成と言われている。当時この地方の統治者であったブルボン公ピエール2世とその妻、アンヌ・ド・フランスにより注文された。
中央の絵は聖母子で、聖母マリアが幼いキリストに優しい視線を注いでいる。後方の太陽と虹色の輪とさらにその回りを囲む天使たちによるユニークな構図と色彩には驚かされる。左の絵には注文者のピエール2世と聖ペトロ、右の絵にもアンヌ・ド・フランスとその娘のシュザンヌと聖アンナが描かれている。聖書の人物の中に自分達も一緒に描かせるといいうのは当時はよくあったことのようだ。
だが、本当に驚いたのは、この木板に描かれた色彩がまるで昨日のように新鮮なことだ。しかも本格的な修復は1回も行われていないとのことだ。今まで、ルネッサンスの巨匠の描いた作品が雑な修復によって作られた当時の本当の姿がわからなくなっているのを何度となく見て来た。だから、昔の絵の本来の状態を知るなど不可能だと最近思ったりしていた。なんでこの作品だけ傷んでいないのか。絵を閉めて保存しているから、空気に触れる時間が少ないせいだろうか。絵が描かれた時に戻ったような錯覚を味わう喜びがあった。
 
再び訪れた大聖堂ではもう一つの発見があった。教会内の外陣の壁にかざってある七宝の宗教画の説明を見て、七宝に詳しい家内が溶岩の上に七宝が施されているのは初めて見た。すごく不思議だという。教会の人に聞いたが詳しいことは分からなかった。この謎は、半ば偶然、翌日判明することになる。



目的地の民宿へ
ル・マイエ・ド・モンターニュ

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民宿の入口

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民宿の庭から

ムーランを後にし、予約していた民宿へ向かった。約80kmの道のり、着いたのは午後7時を過ぎていたが、この季節のフランスはまだ昼間といった感じ。高度500m の丘陵地帯にある静かな民宿。ミレイユとクリスチャン・モナ夫妻が経営する。この民宿を選んだ理由は勿論安いと言うこと。1部屋(二人)1泊44ユーロ(朝食付き)。食事がでて、民宿の経営者と一緒に食事できるといいうこと。その地方の家庭料理が食べられた、フランスの田舎の生活について聞くことができるから興味深いのだ。食事は1人17ユーロ。

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ミレイユさんが好きなハート型のものがいたる所に飾ってある

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民宿の玄関から食堂を見る 右がミレイユさん

ミレイユさんの料理はとても美味しく、しかも独創的。まず白ワインベースにクルミやハーブを加えた自家製の食前酒。前菜がズッキーニのグラタン(普通のズッキーニの他に、黄色のズッキーニも入っている。これは庭から取ったもの)。本菜は薬草風のハーブ(名前を聞いたが書きそびれる)入りの白ワインの入った子牛のシチュー。デザートは焼きアブリコットの中に白ワインで煮たサクランボをサンドイッチ状に入れたもの。このデザートは今までどこでも見たことがなく、特別の風味でした。
(写真を撮るのを忘れたのは残念!)
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2009年07月06日

林檎の礼拝堂を訪れる

田窪恭治さんが修復したノルマンディー地方の小さな礼拝堂

photolet69.jpg以前からノルマンディー地方に日本人アーティスト田窪恭治さんが修復した『林檎の礼拝堂』と呼ばれる小さなチャペルの話を聞いていたので、いつかは行ってみよう思っていた。今回、関西から来た知り合いのファミリーに話したら、自分達もぜひ見たいから一緒に行きましょうということになり、長年の夢がかなうことになる。
 パリから真西に約250km、ノルマンディー地方のカルバドス県の小都市、ファレーズから西に約3km、サン・マルタン・ド・ミューという村のはずれにある、サン・ヴィゴール・ド・ミューの集落にこのチャペルはある(よって正式名称はサン・ヴィゴール礼拝堂)

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 チャペルには電話もなく、問合せ先はファレーズのツーリストオフィスになっている。いつ開いているか問い合わせても係員の応対もはっきりしないので、不安だったが、とにかく車で出発、ファレーズに泊まって、再び確認したが、開くのは午後2時半からとのこと、幸い車だったので、約20km離れたスイスノルマンと呼ばれる美しい渓谷地帯のクレシーという村の水辺で昼食をとり、チャペルに向かった。

林檎の礼拝堂1

林檎の礼拝堂2

林檎の礼拝堂3

畑道をチャペルを探しながら走る。カーブと林に隠されて、突然目的地に着いた感じ。チャペルを見てこれがあの林檎の礼拝堂だったか。ついに来たという感激があった。

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チャペルの入口の前には大きな樹齢500年のいちいの木が立っている。チャペルと同じくらいの年齢ということになる。トマ君の解説ではよく教会の前にある神木だそうだ。北イタリアでも教会の前に木を植える話を聞いたが、都市の教会の前には木がないし、これについて知っている方は教えてください。

photolet78.jpg閑散として、訪問者は我々だけ。入口の前には巨大な木があり、鐘楼はノルウェー風に薄い木片で覆われている。入口を入ると受付に18才の若いトマ・ブナール君がいた。この村の住民で、この秋からカーン大学の社会学の学生になる。ちょうどいい夏休みのアルバイトを見つけたのだった。田窪さんがチャペルの修復をはじめた時にはまだ生まれていなかったけれど、小さい頃から話は聞いていた、とても関心を持っていたそうだ。まだ、この日は3日目だったけれど、勉強していて、詳しく丁寧に説明してくれた。
 
ここにはすでに13世紀にチャペルがあったとも伝えられるが、イギリス系の貴族によって15世紀建てられた。1987年、現代アーティストの田窪さんが訪れたときには、すっかり廃墟となっていたようだ。
彼にはこのチャペルを再生させること自体が現代アートと考えられたのだろう。廃墟を現代アートの素材としている他にもアーティストは何人かいる。田窪さんは家族と共にフランスに移住、4年の準備期間のあと、村人を初め、フランス、日本の多くの人の協力を得て、1992年から10年後に改築が完成した。この辺の詳細は彼の書いた本『林檎の礼拝堂』に説明されているのだろう。今度日本に戻ったら読んでみるつもりだ。

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入口から見た内部。訪れた時はイギリスの女性彫刻家、スー・リレーさんの作品が展示されていた。

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入口方向

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側面の壁

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この壁は例外的にりんごの実でなく、花が描かれていた。下の陶器は昔の所有者のものだそうだ

中に入るとすべての白い壁一面にりんごの実のついた枝が描かれている。ノルマンディーで最も代表的な特産物がりんごだからなのだろうか。昔、菓子店で取材したとき、数え方にもよるのだろうが、ノルマンディーには200種類のりんごがあると聞いたことを思い出した。

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りんごの壁画の描き方も特徴的な技法が使われた。鉛の板の上に幾層にも色の層を塗り、最後に白を塗ったあと、釘で加減しながら引っ掻いて下の色を出して行く引っ掻き画の技法。これで独特の線の美しさがでている。これに調和するように、床には黒っぽい鉄板が使われている。

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内側から見たガラスの瓦の光の効果

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外側から見たガラスの瓦

屋根の瓦には所々に色付きのガラスが使われ、美しい色がかもし出している。色とりどりの効果がステンドグラスのように側面でなく、上面であるのが面白い。

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奥の小さい部屋には、どのように田窪さんが改築したかを示す記録や写真が壁に飾られていた。


ここまで来たかいがあったと思った。ガイドしてくれたトマ君も貸し切り状態だったので、最後にはすっかり打ち解け、外でいろいろ雑談した。機会があったらぜひ日本に来てくださいよと、連絡先も交換しあい、名残惜しく林檎の礼拝堂をあとにした。この地方も親しみが出来たので、またいつの日か戻ってくるかもしれないと思った。






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2009年06月30日

征服王ウィリアムの生誕地 ファレーズを訪ねる

ファレーズを訪ねる

photolet69.jpg日本から来た知り合いの家族とノルマンディーにある、日本人のアーティストが修復した通称『林檎の礼拝堂』を見ようと一泊の旅にで車でパリから出かける。礼拝堂のすぐ近くの町、ファレーズに宿を取った。
 パリから約250km、一気は疲れるので、途中ノルマンディーの港町、オンフルールで昼食、あとはドーヴィルなど、海沿いの町を通りながら、この辺では一番大きいカーンを通って南下、ファレーズに入った。初めて訪れる町だ。下ノルマンディーのカルヴァドス県の中央にある人口8000人の小都市。


征服王ウィリアムの生誕地

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征服王ウィリアムの騎馬像

ツーリストオフィスで町の見どころを聞いたら、やはり城だという。騎馬像がある市庁舎広場の横から入るとのこと。この彫刻を見て、すごい勇壮な感じと驚いたけれど、これが征服王ウィリアムの像と分かったのは城の入口の職員の話を聞いてからだった。征服王ウィリアム1世(フランス語ではギョウーム)のことは遥かに昔、受験勉強のお陰か、知っていた。当時ノルマンディー公だったウィリアムが1066年、イギリスが王位継承で揺れるのを見て、自分も王位継承権があるのを主張して、イギリスに侵入して、征服、イギリス王になった話だ。
その彼が、今いるファレーズの生まれだったとは全然知らなかった。像の姿も、天下を決したヘースティングの闘いの時のもので、1851年、彫刻家ルイ・ロッシェが作ったものだそうだ。

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ファレーズ城

この城はウィリアム征服王の4男のアンリ1世・ボークレールが建てたもの。その後、13世紀、フランス王フィリップ・オーギュストの所有となり、強化・改築された。先を急いでいたので、城と城壁のある全体像を撮れなかったのが残念。

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城からの眺め




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2009年06月15日

ビエーブル国際写真市 (中古・アンティーク写真市)

6月13日(土)、14日(日)の週末、パリ郊外、ビエーブル市で国際写真市が行われた。フランス人の著名な写真家から現像・焼き付けの秘法を伝授された際、ビエーブルの写真市がもうすぐあるから行ってくるといいよと言われていた。

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ビエーブル市はパリの郊外、南西15kmにある谷間の小さな町。フランス写真博物館があることでも知られている。土曜日の午前中はブーローニュに用があったので、ここからはすぐ近く、準高速道を通るとほんの10分あまりで着いてしまった。

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町の中心のロータリーのあたり。この左側に入口がある

会場は町の中心の市役所の横の公園というか空き地。ヨーロッパ一のアンティーク写真市と説明されたけれど、なんか普通の朝市、蚤の市の延長と行った感じで、入口も目立たない。

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芝生の上に無造作に置いてあって、ガラクタ市の感じ

会場に入ると急に暑くなった感じ。30°はあったと思う。芝生の上に無造作に中古カメラが置いてある。その向うでは小さな子供が遊んでいて、実にのどかな感じ。

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販売のおねいさんもサラダを食べながら

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広場の下の道まで会場は続いている。女性客も多い。

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真剣に探す女性客

広場一杯にテント張りのスタンドが並ぶ。ドイツなど他の国からの出品者もかなり多い。アンティークカメラ、中古カメラファンというと、男性だという先入観を持っていたが、女性客が多いのにも驚いた。

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普通のアンティークカメラだけでなく、大型カメラや16mmの映画カメラなど、あらゆる種類の古い写真製品が並んでいる。中古カメラの専門でないので、これはという掘り出し物を紹介できないのは残念だ。
中国人の客が多いのにも驚かされた。日本人の年配の男性二人が「ほんとに来てよかったね」など話あっているのも聞こえた。

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結局、探していたコンビナ製の現像タンクは見つからなかったが、映画の発明者でカラーフィルムのオートクロームの発明者であるリュミエール兄弟の伝記、古い写真入門という本2冊を買った。写真入門には現像液やフィルムの乳剤の作り方を化学式で解説してあり、とても作ることはできないと思うが本棚に飾っておきたい。
ガラス彫刻をやっている家内が欲しいというので、スライドプロジェクターの元祖の「不思議なランプ」用のレンズも買って来た。約4000円だが、多分、19世紀のもので、レンズが両面に二つついていて、ものすごく奇麗だ。

2日目の日曜日には写真家のスタンドも加わり、作品の販売もされたようだ。来年はできれば参加してみようかと思っている。
タグ:中古カメラ
posted by Jun SATO at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする